小飼弾の 「仕組み」進化論

404 Blog Not Found」でおなじみの小飼弾氏の1冊。今年は「仕組み」の年なだけにまさに狙っていたかのような1冊である。

では小飼氏の言う「仕組み」とは一体何なのかということについて紐解いてみよう。

Part0「仕組みづくりが仕事になる」

「20世紀の歴史は、「仕組み化」の歴史でした。
 今、その仕組みを見直す必要が出てきています。」(p.12より)

「仕組み」という言葉は、今の私にとっては新鮮な響きであるのが嘘のようである。20世紀の社会そのものが「仕組み」であったということを聞かされたことには衝撃を受けた。よくよく考えてみると戦後の日本の高度経済成長を支えてきたのは馬車馬のように働き、そして数多くの技術革新を行ったことにより「仕組み」が形成され経済を活性化させた。しかし「仕組み」には寿命がある。その寿命はバブル崩壊前後に寿命になり、経済は減速し、「失われた10年(よっては「15年」という人もいる)」時代遅れとなった「仕組み」をいつまでも手放さない日本の体質。それをどのようにして「仕組み」を考えていくか。ビジネスの場でも、社会の場でも「仕組み」を変える時がきた。
だからでこそ「仕組み」の年と言われているのだろう。

Part1「仕組みの仕組み」
さてこの「仕組み」とは一体何なのか。当ブログおなじみの「ある辞典」で調べてみた。

①機械などの組み立てた物の構造。
②物事の組み立て。仕掛け。
③戯曲・小説などの筋の立て方。趣向。構成。(goo辞書より)

ここでは①の意味になるだろう。著者は①の意味に、「テコ」と「奴隷」を用いて双方とも楽に、かつ効率的に生産をし、利益を作ることが「仕組み」とされている。
あたかも本田直之氏が「レバレッジ仕組み術」を書いたという感じがしないでもない。

Part2「仕組みを作り直す」
著者はプログラマーであるので、プログラマーの観点から「仕組み」作りについて書かれている。私はシステムエンジニアであるが、プログラマーの役割もしているためここで言っていることは分からないでもない。
プログラムを書く(「コーディング」と言っている)のはプログラム設計通りに単純に書くものから、独創的なプログラムまでたくさんあるがここではプログラムの観点から見た「仕組み」であるので先ほど書いた辞書の①の意味にあたる。著者が言うにはプログラマーには「美徳」というのがあるというが、意味合いは分るがこう言うので「美徳」というべきかという懐疑が私の頭を動き回っている。著者は「悪徳・背徳の間違いでもありません(p.51より)」というがその感じがほんの少しあるように考えられるのは私だけであろうか。

Part3「仕組みを使う」
システム開発で言う「テスト」や「見積もり」がここにあたる。それを普段のビジネスにどう当てはめていくのか見てみたが、コストの掛け方と安全性という所である。利益を出すことが前提であるが、利益を出すためにはそれなりの費用がかかる。その費用をどのようにして圧縮していくのか、そして安全性を高める、「win-winの関係」を築くことにもつながる。

Part4「仕組みを合わせる」
「仕組み」はつくるだけではなく、チームでもって仕組みを「合わせる」というのがある。電池の配列のように「直列」と「並列」というのがあるが、違う点は電池で言うパワーは「リスク」、持続性は「安全性」と置き換えられている。仕組みは絶対安全で確実に利益が入るわけではない。時にはトラブルを生じることもあるという。
「仕組み」はメリットの面ばかりしか見ていなかったが、リスクという面が垣間見ることのできた所である。仕組みの魅惑にのまれそうになった時にこの章を注意書きとして見ておくといいだろう。

Part5「仕組みと生物」
ちょっと不思議なタイトルである。「仕組み」と「生物」の接点なのか、それとも「仕組み」を「生物」と見立てているのだろうか。本章を読むと後者だということがわかる。生物は激しい生存競争の中で進化を遂げている。「仕組み」もまた「仕組み」同士の激しい生存競争を繰り返しながら生き残るために進化し続けている。ブルー・オーシャンとなる「仕組み」を見出しても当然ブルー・オーシャンを見つけるのにも労力は要る。それを見つけてもそれと類似したものができはじめ、そこからレッド・オーシャンとなる。それの繰り返しであるが、そのレッド・オーシャンの中からブルー・オーシャンとなり得る部分を探すというのもまた一つの手段である。そのためにはアイデアを練る必要がある。ブレインストーミングがいい例だろう。
ここで重要なのがミスや採用されなかったものを「残す」ということ。反省材料や後々に大きな材料になり得るので保存する、いわゆる「残す」ということである。

Part6「仕組みの未来」
なぜ格差が大きくなったのかそれは、「コト」の増加によるものであると指摘している。「コト」というのはすなわち「情報」である。情報は今やインターネットの普及により誰でも、労力を使わず、簡単に手に入ることができるようになった。簡単に手に入ることと、目に見えないものの価値が高まることによって一種の「モノ」扱いになる。そのことで価格がつき、「コト」や「モノ」を作り出せている人ばかりにお金がいく。買いたい人は買いたくても買えない。資金という名の血流が止まる。経済という人間が致死に至る、という構図になる。この格差をなくすためにはどうするか、著者は「リソース効率重視」が格差をなくす最高の方法であると主張している。つまり「使えるものをどれだけ使うか(p.206より)」であるが、こう見る限り「足るを知る」と違っているようで結構似ているように思える。

これまで学んできた「仕組み」がまた違った角度でとらえることができたように思う。世の中そのものが仕組みであるならば、いま日本を減速させている古い「仕組み」の繰り返しを脱却し、新しき「仕組み」に組み替えること。今年話題となる「仕組み」の終着点の一つがそこにある。

仕事にしても、ビジネスにしても、生活にしても、政治・経済にしてもこれから「仕組み」が注目されることだろう。

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51184476.html