天誅と新選組―幕末バトル・ロワイヤル

幕末は激動の時代だったと言われている。かたや倒幕のために動き出す志士達、かたや天皇を担ぎ出そうとする人達、かたや幕府、もとい保身のために志士達を根絶やしにする者もいた。その時代は本書のタイトルとなっている「バトル・ロワイヤル」に相応しいと言っていい。
本書はそんな幕末の中でも「文久」の3年間で起こった事柄を紹介している。

第一部「文久天誅録」
1603年に江戸幕府ができ、1616年から鎖国が始まった。大きく離れて1853年にペリーが浦賀沖に黒船4隻を率いて開国を要求したことから激動の時代が始まった。とりわけ1858年に日米修好通商条約締結前後には尊王攘夷派の過激な運動が起こり、それを幕府が大々的に鎮圧をするという構図であった。とりわけ「安政の大獄」がその最たるもので吉田松陰らが刑場の露と消えた。それを行った大老・井伊直弼への批判がさらに高まり「桜田門外の変」で暗殺された。尊王攘夷のほかにも「外国の輩に刀の味を味あわせてやろう」とする志士も出てき始めそれが、「生麦事件」に発展し、「薩英戦争」にまで及んだ。この戦争によって薩長同盟は大きな武器を手にし、ついに倒幕したといういきさつである。

ここで気になったのは「幕末の外国語ブーム」である。鎖国状態であった当時の日本人には珍しかったようであり、英語通訳できたのは日本ではジョン万次郎(中浜万次郎)ともう一人の2人だけであった。その英語を学ぶ場、通訳を育成する場として「蕃書調所(ばんしょしらべしょ)」ができたという。もともとは「蛮書和解御用(ばんしょわげごよう)」という翻訳機関であり、東京大学の起源の一つとなったとされている。英語教育に関して問題は山積しているが、最も英語に関しての需要が高かったのはこの時代であろう。明治時代における西欧化の一端を担ったと言っても間違いない。

さらに本書では島津久光も取り上げられているが、こちらの方がより詳しく書かれているためここでは割愛しておく。

第二部「文久殺陣録」
ここでいよいよ新選組が登場する。1863年に結成された(当時は「浪士組」と呼ばれていた)。この新選組の活躍の中で「大和屋焼き打ち」「八月十八日の政変」「池田屋事件」が挙げられている。

「歴史は物言わぬ死者にもう一度語らせる作業である」(p.229より)

歴史を学ぶ意味・あり方については人それぞれである。おそらく著者は歴史を鑑みるために、そのためにはなくなった先人の声を文献を通して聴き、これからどうするのか、どんな時代背景だったのかというのを延々と繰り返しながら考察を行う。間接的であるが死者に語らせるということにほかならないと考えているのだろう。

文久の3年間はまさに「激動」と言われるように様々な事件が起こった。これを細やかに述べたほうがいいとしてしまうともはや新書どころでなくなってしまう。新書にまとまっており、かつ要点がよくまとまっている本書がこの激動時代を見る入り口としては良書であると思う。