イワシはどこへ消えたのか―魚の危機とレジーム・シフト

私が子供の時、周りの友達の多くは「嫌いなもの」というと「イワシ」と答える人が多かった。しかし今となってはそのイワシも見るのが珍しいように思える。見たとしても100円ほどで売っている缶詰と言ったところである。本書を少しめくった所によると、現在の水揚げ量はピーク時の60分の1にまで減少しているという。数字自体は疑いはあるとはいえどそれに近いのは間違いないだろう。珍しいまでになったのだから。

その一方でサンマは豊漁であり、サンマの方が私たちの食卓に近いスタンスである。

「地球温暖化により生態系が変化した」と言えばおそらく多くは納得すると思うが、私自身それ事態釈然としない。生態系の変化によるものか、あるいは他の要素がはらんでいるのか、本書はそこについて考察を行っている。イワシに絞らず数多くの魚を例に挙げているので、飽きさせないところが本書のいい所である。

第1章「マイワシの巻」
マイワシはかつて全国的に多く採れ、刺身や蒲焼、塩焼きから煮付けに至るまで幅広く庶民に食されてきた。それ以外にも飼料や肥料にも使われることもあった。栄養も豊富で「海のニンジン」と呼ばれるほどである。
このイワシが激減したのは「海水温の変化」によるものだという。海水温の変化によりイワシの漁獲量、生残率が激増したリ激減したリする。

第2章「マサバの巻」
北海道釧路港は91年以後、漁獲量日本一の座を離れたがその以前にイワシばかりではなくマサバも豊漁であったという。イワシやサバなど様々な魚にはそれに適した環境があり、年々ごとに海水温の変化がある。時にはイワシの漁獲量が減り、アジやサバの漁獲量が増加する。その逆もまた然り。しかし90年代マサバの乱獲によりその循環が鈍ったという考えもできる。

第3章「アンコウの巻」
ここではちょっとイワシの話を離れるが、それと似たものについて挙げている。それはハタハタとアンコウである。ハタハタは年々現漁獲高は減少していたが、禁漁によって漁獲高は安定を保ったのだという。禁漁によってもたらされる効果というのがよくわかる。イワシの漁獲高が減っているとしたら禁漁も一つの手段なのではないかという所である。

第4章「スケソウの巻」
スセソウダラというと北海道では最も漁獲量の多い魚として有名である。そのまま食べずに魚のすり身にしたりして食べることがほとんどである。卵巣はタラコにもなる。ここでは海外のトロール船の影響について書かれている。ここはどう漁獲高を伸ばしていくのかというのが政府単位で行わなければならないというものが見えている。特に他国間の問題であるため用心せずして解決の道はないのだが。

第5章「サンマの巻」
イワシに代わって私たち庶民で最も食べられている魚というとサンマを挙げるだろう。サンマの漁獲高がなぜ上がったのかというばかりではなく、一昨年には政府と漁業団体とで勃発した「サンマ戦争」についても取り上げられている。おもに北海道の生産団体を中心に怒りの声を上げたというが、全国的にも地方的にもあまりニュースにならなかったことを覚えている。そう言う意味では水産庁と漁業団体などの対立が見えたというのは新鮮味があった。

第6章「水産庁の巻」
漁獲量は年々変化するものではあるが、漁獲可能量(TAC)というのを決める役割を担っているのが農林水産省、その外局である水産庁の役割である。前章のような「サンマ戦争」の渦中にあったりと何かと大変な役割を担っているが、国民の間にはその苦労が認知されていないというのが実情なのかもしれない。

第7章「人間の巻」
魚の乱獲などの人的な要因、気候の変化による環境要因と様々な要因がある。
本書の副題は「レジーム・シフト」である。3年前だか安倍内閣発足の時に「戦後レジームからの脱却」と言って話題となったあの「レジーム」である。
ではこの「レジーム」とは一体何なのか、いつもの辞書を開いてみた。見てみると、
「体制。政治体制。政権」
と書かれているだけ。本書では政治的な意味ではなくあくまで「体制」、もとい従来のシステムの変化について考察している一冊である。
最初はイワシの漁獲高の減った要因について書かれているが、後半になっていくにつれ他の魚ばかりが取り上げられ、結局は気候変動と乱獲によるものという結論に至ってしまう。その回帰が長いので、読んでいてちょっと疲れてしまう1冊であった。