化粧と人間―規格化された身体からの脱出

もはや「化粧」は女性にとって欠かせないものとなり、小学生でも化粧をするようになった。「化粧術」といった本やセミナーといったものは至る所で行っている。もはや生活の一部となっている化粧をどのようにして教育するべきか、どう教えるべきなのかの必要性を説いた一冊が本書である。ちなみに本書を出版されるまでに相当な思いがあるという。それは最後に書こうと思う。

第1章「化粧は日本の社会でどんな意味を担ってきたか」
先も言ったように子どもたちの世代まで「化粧」をするようになった。
そもそも「化粧」はどのような歴史や起源をたどってきたのだろうかというのが知りたくなる。
紐解いていくと「万葉集」といった古典にも化粧のこと(「白粉」についてであるが)が書かれており、「源氏物語」など古典を取り上げても枚挙にいとまがないほどである。
歴史を紐解けばかなり深いということが分かるが、では社会において「化粧」はどのような位置付けであったのだろうか。今も昔もあるのが「礼儀作法の一部」としての化粧がある。特に階級が上流になってくるにつれ「マナー」による化粧の仕方というのがあった。
しかし今はそれだけではなく、「個人のファッション」としての化粧も存在するが、これについては「電車の中で化粧する女たち」や「コスメの時代―「私遊び」の現代文化論」が非常に詳しい。

第2章「化粧にみられる美的価値基準の現在」
こちらは主に統計による結果を紹介したところが中心であり、具体的な考察については第3章に譲っている。
化粧をしている子供の割合から、大人から見た子供たちの化粧について、そして女性の生活館や「美」に関しての観点をアンケート調査の結果をもとにして考察しているところである。

第3章「美的価値基準はどうあるべきか」
前章をもっと深く、もっと具体的に掘り下げたところである。アンケートの現状を見て若年層の化粧について両極の定義をした。

・ファストビューティー
→「ファストフード」のように安く、早く、簡単にといった観点から美しくなれる美しさ

・スロービューティー
→こちらは「個性的」というもの。時間やコストを駆けて自分自身の積み重ねによって「美」

を手に入れることを言う。
両極端であるが、この定義は景気にも言えるのかもしれない。「戦後最長の好景気」といわれていた時は主に高級なものにこだわりを見せたときであるから、どちらかというと後者の方に行く傾向が強かった。しかし今となっては徐々に前者に逆戻りしていると考えられる(あくまで私の推測であるが)。
本章の最後にはあまり触れられなかった男性にとっての「美」についても取り上げている。最近では男性専用のエステサロンやスキンケア用品も出てきていることから「男性も化粧をする時代」というのが出てくるのではないかと考えられる。

第4章「問題解決としての化粧教育」
もはや女性にとっても男性にとっても、避けては通れないものとなってきた「化粧」。
著者の提唱する「化粧教育」というものは何なのかということが本章で具体的に書かれている。中身というと、まず基礎編に当たる理論編がある。そこでは「化粧品成分」や「UV」「肌」に至るまでの知識を身につけ、そしてTPOによる実践編に移るというものである。
後半では実際に化粧教育の重要性について、著者が教鞭をとっている駒沢女子大、研究ファームである資生堂での実例を紹介しながら説いている。

最後のあとがきには、論文では書けない著者ならではの熱い思いが込められている。

「博士論文として書いている当初から、この原稿は本にして世の中に出したい、いや、出さねばならないという強い意志をもっていた」(p.211より)

「化粧術」といったノウハウ本というのは書店に行けばいくつも存在する。化粧の現状についても大型書店に行けばいくつか置いてある。

しかし「化粧教育論」や「哲学的化粧論」というのは置いてあるだけでも珍しい。むしろ学問として確立されているのかどうかも分からない状況にある。

その意味では本書は画期的な一冊であった。化粧にもほかの学問と例外なく歴史や哲学というのが存在する。ましてや身近な化粧なだけに思いっきり掘り下げながら考察を行う学問がなぜ出てこなかったというのが不思議でならない。

著者の続編を期待するとともに、「化粧」にまつわるさまざまな学問が確立されることを願ってやまない。