対論・異色昭和史

2009年4月、ジャーナリストの上坂冬子氏が肝不全のため亡くなった。78歳である。
上坂氏といえば三宅久之氏櫻井よしこ氏と並ぶ保守派の大論客といわれており、とりわけ今も紛糾している北方領土問題には積極的に提言をする論客である。その姿勢はものすごく、上坂氏の本籍を国後島にしたということが何よりの証拠といえよう。
本書はその上坂氏を見出した鶴見俊輔氏と昭和、おもに第二次世界大戦前後のことについて対談を行っている。鶴見氏は上坂氏を見出したとはいえ対極の立場になったということは何たる皮肉なことだろうか(ちなみに鶴見氏は護憲派である)。

第一章「戦時下の思い出」
ここでは「張作霖爆殺事件」や「二・二六事件」の時、鶴見氏はどう思い、そのような人生を送ったのかについてである。

第二章「戦時体制の暮らし」
戦時体制下というと昭和13年〜20年にかけてであるが、こちらも鶴見氏の思い出といったところである。上坂氏もちょうど小学生といったところであるが、鶴見氏は大学生、しかもハーバード大学に在籍したという。
しかし日米の関係は悪化し、鶴見氏も帰国をせざるを得なくなった。そして徴兵検査に合格したが、徴兵されるのを避けるために海軍軍属の志願兵となった。
左翼であるとはいえ、戦前の生活について語れる論客というのは非常に少ない。鶴見氏の生活について熱く語っている文章をみると生々しさと重みを感じずにはいられない。

第三章「戦後日本をあらためて思う」
ここで憲法九条に関する両者の対立が浮き彫りになってくる、上坂氏のクール、というよりもシニカルな問いに、鶴見氏がヒステリックに返すという応酬が続いた。戦後間もなくたって日本国憲法が公布され、施行された。対立する両者の意見の中で唯一同じだったのは、「東京裁判はめちゃくちゃの裁判であった(法の論理も伴わない政治裁判)」であったことである。これに関してはすでに、いくつかの本で主張しているので殊更主張するまでもない。

第四章「「思想の科学」の躍動ぶりと周辺の事件」
鶴見氏は戦後間もなくして「思想の科学」という雑誌を創刊し、思想史研究に没頭した。それとともに、「60年安保反対運動」や「べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」にも参加したそうだ。ちなみに上坂氏も「60年安保反対運動」のデモに参加したことがある。78年の生涯の中でデモに参加したのはこれだけだったという。

エピローグ「教育とは、そして、死とは」
「国定教科書」から子どものころにうたった「童謡」などの「歌」について、そして親族の死からみた自分の死に方について語った。この後、すぐして上坂氏がなくなったことについて鶴見氏はどう思っているのだろうか。

戦前・戦後を自ら学びながらも生き抜き、そして自らの体験をもとに思想を学び、護憲派の重鎮となった鶴見俊輔氏、その鶴見氏に見いだされるも数々の問題で保守として提言をした上坂氏の対談は終始バチバチとした印象が強いように思えたのだが、共通点もいくつか見られたというのがなかなかおもしろかった。
末筆ですが、上坂冬子氏のご冥福をお祈りいたします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました