七田眞の人間学 いかに生きるか

「右脳式教育」として知られ、数多くの著書を出された七田眞氏が4月22日に亡くなった。79歳である。
自己啓発の本を全部で150冊刊行されており、右脳に特化した教育として国内外から注目を集めた(その一方で科学的かという批判はあったのだが)。
本書は七田氏の生い立ちから、人間の生き方はどうあるべきかについて提唱している。一昨年出版されたのだが、七田氏の集大成としてはうってつけの一冊だと私は考える。

第1章「いかに生きるか」
本書は「右脳開発論」でも「自己啓発」でもない。
「人間学」である。
最初の章も「生きる」ということをテーマにしている。
七田氏の「生き方」の根幹となったのは幕末の志士たち、吉田松陰西郷隆盛によって教えられたという。
特に吉田松陰の生き方に七田氏は心酔していると推測できるのが、松陰に関連して孟子についても次章以降にわたって解説している。
これについては野山獄という牢獄において、他の囚人らとともに孟子の教えやそれぞれ講師になって様々な学びを得たことから「講孟箚記」というのが誕生している。他にも松陰自身の遺書とされる「留魂録」や家族にあてた遺書である「永訣書」というのも遺している。
さらに本章では福澤諭吉の「学問のすすめ」や「福翁自伝」についても取り上げられている。

第2章「天はいつも見ていてくれる」
前章に引き続き孟子のみならず、「天」ということだけあり西郷隆盛についても挙げている。
西郷の名言の中に「敬天愛人」という言葉がある。これは
「道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふ故、我を愛する心を以て人を愛するなり」(「言志録講話」より)
人の行動は点を敬うことを目的とし、それと同じように人に対して敬うようになれば、自分も人も愛することができるというものである。

第3章「いかに学ぶか」
七田氏は「右脳記憶法」というのも出版しているだけあってか、本章では勉強法として暗記を推奨している。砂金の教育やノウハウに関しては「暗記」だけではどうにもならない、もしくは暗記を「悪」という考えをもつ人もいる。
しかし実践し、様々なことに生かすためには暗記をしてそこから掘り下げていくということもまた学習である。

第4章「人は誰でも成功できる」
人は誰しも成功するチャンスが保証されている。しかしそれに関して気付かずに終わるか、気づいていても目先のことで手いっぱいになり、そのチャンスをみすみす逃してしまうという人が大多数である。
ここでも古典で「四書五経」を中心に取り上げられているが、そこから派生して経営者や評論家にも視野を広げている。特に書評の上で尊敬している文芸評論家の福田和也氏は、文章の書き抜きについてこう述べている。
「私は、現行はかなり前からずっとワープロを使っていますが、抜書きは、一時期から手が気に戻しました。
(中略)
抜書きすることで、自分が何を示そうとしているのか、語ろうとしているのか、ということがはっきりした輪郭をもって運動を始めるのです。」(pp.136-137および、福田和也「ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法(PHP研究所)」より)
ビジネス書においても「レバレッジ・リーディング」の「レバレッジメモ」や「読書は1冊のノートにまとめなさい」というものが、世に出ている所以なのかもしれない。名言と思ったところ、自分が感動したところを「記録」することによって、自らの血肉と化し、成功への道しるべの一つとなり得る。

第5章「仁と愛の人になる」
「人を愛すること」
「あらゆるもの(こと)に感謝すること」
そのことにより人は成長をする。
偉大な功績をあげた人はいずれもそういった感謝の心を持ち、培いながら味方を増やしていった。

第6章「スーパーエリートのつくり方」
スーパーエリートを作るもととして「歴史」というのが大きな材料になる。過去の偉人はどのようにして学び、どのように功績をあげていったかというのがぎっしりと詰まっている。さらに第一章で述べられていた志をもつこと、いわゆる「志士」になることこそエリート育成にとって大事なことである。

私自身、右脳育成を中心とした「七田本」についてはあまり信じなかった。元々自己啓発という色がありありと見えていたからである。
本書はそのような内容は全くなく、むしろ七田自身が学んだこと、見聞したことの全てが詰まっている。自身、残り時間がもうほとんどない時に自分が学んだことをどのようにして遺していくべきかというのを苦心の末、本書を出したという感が強かった。
そのことあってか古典を非常に噛み砕きながらも、著者の思いが込められており、読んだだけでパワーが漲る一冊であった。