情報倫理の思想

「情報倫理」という言葉は聞きなれないが、こういった時代だからでこそ知るべきだと私は考える。

「個人情報保護法」などの情報にまつわる法律は時代とともに続々とできているが、最も情報統制や保護について大きな役割を担うのが、個人の「モラル」、「倫理」というものである。
しかし「情報倫理」と言ってもどのような考えに至るのか、そのことについて取り上げている野が本書である。

第一章「普遍倫理への模索――解説にかえて」
「情報倫理」を考察する前にまず「倫理」の概念について議論を行っている。
ここ最近では「モラル」や「マナー」というような「倫理」「道徳」というのが関心を集めているという。最近では「学生のまじめ化」というのもトピックスに上がっていたところを考えると「一億総真面目」というような印象があるように思える。
本章では西洋倫理学と照らし合わせて考察も行っているが、時代の齟齬があってか限界についても突いている。

第二章「情報倫理の本質と範囲」
さてここから、情報倫理の思想について考察を行い始めている。
マクロの観点、ミクロな観点から様々な角度から考察を行っているが、この情報というのは一体どのような機能にあたるのかというのもなかなか興味深かった。

第三章「情報倫理学の存在論的基礎付けに向けて」
情報倫理における「存在論」というのがあるという。

第四章「倫理多元主義とグローバル情報倫理」
「倫理多元主義」というのはちんぷんかんぷんになる人がほとんどだろう。私もそうなので仕様がない。
「倫理における多元主義は「通約できない」複数の価値、アプローチ、規範的要求などのあいだで、相互に解消不能な差異として現れるものがあることによって始まる(p.146より)」
つまりいろいろな倫理観が重なり合って、その中から矛盾が生じることによって始まるというのが本章の言っていることなのかもしれない。

第五章「日本情報社会の倫理――ヴァレラの“身体化された心”への基礎情報学からの考察」
ここでは日本特有の仏教思想とヴァレラの「身体化された心」とともにIT革命から始まった情報化社会の倫理性について考察を行っている。

第六章「情報エコロジーとしての情報倫理学――デジタル還元主義を超えて」
ITの進化は非常に速く、様々な面においてデジタルの恩恵を受けているといっても間違いない。

情報化はさらに進みその中で、法律もしくは慣例による枠組みが形成されてきた。
しかし「情報倫理」は本書のあとがきにも書かれているとおり日本にはまだ浸透していないというのが現状で、考察に関しても文献が限られるというのが現状である。
情報化において様々な変化をしているのは間違いないのだが、日本は「モノ」に依存しすぎることにより「倫理」というものを置き去りにしたという風に考えられる。