超「超」整理法 知的能力を飛躍的に拡大させるセオリー

野口悠紀雄といえば「「超」整理法」という本で有名であるが、すでに「Web2.0」と言われて久しく、仕事や整理の状況も劇的に変化してきた。著者も、

「「超」整理法を書き直す時が来た」(序論より)

というほどであるので、これからの時代に沿った「「超」整理法」だが、時代のスピード、特に情報が飛び交うスピードが飛躍的にアップしていることからさらに、「超」をつけ、「超「超」整理法」という名で新しい「整理法」について伝授している。

第Ⅰ部「デジタル・オフィスの作り方」
第1章「Gメール革命」
情報整理、特にメールの整理というのはこれからどんどん重要な雑務の一つとなる。
そこで著者が提唱しているのは「Gメール」。Googleのメールサーバーであるが、保存容量、検索機能などよい所ずくめといった方がよいのだろうか。
私は残念ながら「Gメール」は使ったことがない、まだ必要だと思わないからだ。しかしこれから必要になってきたらGメールというのをはじめてみようと思っている。

第2章「デジタル・オフィスはオンライン」
メール以外のデータ整理にもオンラインというのが出てきた。ここでは第1章の応用編というべきか「Gメール」を用いてオンラインにデータを蓄積をする方法について書かれている。
私もGメールではないが思いついたことについてはフリーメールに送ることを行っている。しかしGメールは容量が膨大であるので数多くの情報を貯蔵し、目的別に振り分けることのできる利点がある。

第3章「紙との共存」
デジタル化と言っても本章では従来の「「超」整理術」の名残が見えるように思える。
ここではデジタルの時代でもデジタルは万全ではない。紙との共存を図りながら情報を整理をしていこうというところである。紙を整理するところとはいえ「PDF」を用いてデジタルとアナログの架け橋を作っているという所は新しい息吹が吹きこまれているように思える。

第Ⅱ部「IT時代の知の技法」
第4章「検索を制するものは知を制す」
ここからは整理からいったん離れて「検索」という所に入る。
検索というと「Yahoo!」や「Google」といったサーチエンジンが思い浮かぶことであろう。最近では「ウィキペディア」といったフリーの百科事典も存在するため方法によっては「一億総博識化」というのも可能になる。
ではこういった時代に制することのできる「検索」とは一体何なのか。それは「完全一致」や「あいまい」検索の使い分けや調べたい対象について組み合わせるなどの検索を行えばいいとしている。

第5章「検索は知のスタイルを変える」
もうすでに世界中でネットがつながるようになって、多少言語の壁は存在するものの世界中の情報をとることができるようになった。
その検索機能を駆使して効率的に「知る」というのがこれからの耳朶において必要であると本章で主張している。

第6章「新しい時代における知的作業の本質は何か?」
「頭でっかち」というのは周りにいたら必ず1人か2人いることだろう。その頭でっかちを駆使しながら問題を設定し、仮説を立てていき、「考える」ことによって知識を落としこんでいく。知識を蓄えつつ、それを考え抜き「教養」や「アイデア」といったものにしていける人こそ将来有望であると語っている。

第7章「新しい知的生産技術」
新たな知的生産として代表的なものとして「ブレインストーミング」を挙げている。ブレインストーミングによって新たな知識を得ることができたり、大学院を用いて共同作業を行えるという可能性がたくさんある。

第Ⅲ部「知の産業革命」
第8章「日本で知の産業革命が起きるか?」
アメリカにおいて「ウェブ2.0」が誕生し、新たなる「知の産業革命」というのが起きたのは言うまでもない。では日本では同様のことが起こり得るのだろうかというと、日本特有の雇用事情、経済事情から考察するにまず不可能であると断じている。
日本は「革命」といった大きな変化というのには非常に弱い。それは江戸時代における鎖国政策や、もっとさかのぼるとザビエルをはじめとしたキリスト教の布教が思うようにいかなかったというのが確固たるものである。しかし幕末から明治維新にかけてのように大きな変革ができれば日本は大きく成長できる要素をもっている。

これからの時代において大きな武器となるのは「知」となるのかもしれない。その「知」をどのようにして身につけるべきかというよりも、これからの「知」のスタイルについて提唱した一冊である。方法論というよりもこうなのではないかという予測論、もしくは主張というのが色濃いように思える。