心の平和

チベット仏教の最高指導者であり、チベット仏教の繁栄、そしてチベット問題の惨状を訴えながら平和を願ってやまないダライ・ラマ14世猊下の一冊である。猊下自身の「心」の在り方について書かれている。目次に入る前には様々な風景をバックに珠玉の一言がちりばめられている。

「なぜ、苦しみは生まれるのか?」
「幸せ」とは何か。
「苦しみ」とは何か。
人それぞれ違うし、様々なものがあるため一概にこれとは言えない。
「幸せ」や「苦しみ」というのは理性をもっている人間のみならず動物にも食にありつけたり、子育てをするなどの幸せや、生きていくうえでの苦しみというのに立ち向かっている。
その中で「苦しみ」をなるべく和らげるためにはどうするかというと、仏教やキリスト教にある「慈しみ(「慈悲」と言った方が適当か)」の心をもつことにあるという。その育て方についても本章で言及している。

「ダライ・ラマが説く「原因と結果の法則」」
原因と結果の法則」と言うとジェームズ・アレンが出したとするあれのような気もするが、私は読んだことがない。近々読む(汗)。
ただビジネス書の代表格であるそれは仏教に影響しているといわれているが、猊下のそれとやや異なっているように思える。方やビジネスとして仏教は入っているものの、西洋の自己啓発としての役割があり、方や仏教指導者としてあくまで宗教から見て、「原因」と「結果」を考察しているからである。

「現代を生きる君たちへ」
これは猊下が2008年に福岡県北九州市で行われた講演の中から筑紫女学園(11月5日)に行われたものを収録している。そのため「若い学生」を対象にして、人生・宗教など諸々について教えを説いている。
この講演ではいかにして「智慧」を身につけるのかというのが印象的であった。この「智慧」というのはもともと仏教から来たものである。
仏教において智慧には「聞くことによって得られる智慧」「考えることによって得られる智慧」「慣れ親しむことによって得られる智慧」の三種類があるという(p.70より)。
「智慧」を身につけることによって理解できる「幸せ」を享受することができるという。
最後には日本に足りないものとして「言語教育」、特に「英語教育」と主張している。これは教育問題にも足を突っ込むかもしれないが、中・高・大の英語教育は全く役に立たないわけではないのだが、あくまでリーディング・ライティング(最近ではリスニング)重視となっているため、「話す」という実践が伴っていない現状がある。実践に伴った英語教育をするべきであるが、それ以上に「英語」を愉しめるような教育をするべきである(ただし国語教育が万全であることを前提にする)。

「十代との対話」
ここでは「世界平和」「自身の体験」についての素朴な疑問を猊下自ら答えるという形である。

余談であるが、今年はダライ・ラマ14世猊下の亡命50周年である。これを記念してという印象が強いように思えるのだが、50年もの間チベットでは弾圧が起こっており、その苦しみの中で猊下は心についてどのように思ったのか。猊下の言葉ひとつひとつが、自分の心を安らかにさせ、和やかにしながらも、人生において何が大切なのかというのを教えてくれる。