怪異の風景学―妖怪文化の民俗地理

梅雨が明けるといよいよ夏本番である。うだる様な灼熱地獄が来るのかというと嫌になる今日この頃であるが、そんな暑さを吹き飛ばすものとして代表されるのが怖い話と言った怪談である。怪談と言うと稲川淳二や小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)というのが思い浮かべると思うが、アニメや漫画、映画やドラマを問わず、怪談話というのは枚挙に暇がない。

また怪談に関する民俗学もいくつか出されており、怪談と最近の日本文化というのは切っても切れないものとなった。本書は「風景学的」な観点から妖怪文化を考察している一冊である。地理学や民俗学とは違う「風景学」についても考察をしている。

1.「怪異の見える風景」
怪異の見える風景、簡単に言うとお化けが出てくるという風景はどのようなところをイメージできるかという所である。
墓所や廃屋やつかわれなくなった道路やトンネルというようなところであればTV番組でも毎年のように紹介されているので容易に想像できる。
本章で言っているか「怪異の見える風景」を含めた風景認識を大きく分けて3つに分けている。
第一の風景「誰もが見る風景」→これは何も変哲もなく、肉眼でも容易に見える風景のことを言っている。
第二の風景「怪異の風景」→これは誰にもわからない。頭の中にあるというもので肉眼ではまず見ることができないもの。
第三の風景「怪異の見える風景」→これのことが幽霊やお化けの見える風景のことを言っている。

2.「怪異の体験とことば」
1.と2.で「怪異」というのがあるが、ここでは主に平安時代の話に遡る。
当時の話で言うと陰陽師である賀茂忠行や安倍晴明のことを想像することができる。怪異の中には人に対して災厄をもたらすものもあり、それを退治する役割として陰陽師という存在があった。

3.「妖怪の走る風景」
4.「伝承群団の見た妖怪」
この2つではクビナシウマなどの妖怪について書かれている。

5.「頭のなかの妖怪地図」
6.「妖怪の二つの場所」
本書は地理学で考察しているように地理的な観点として妖怪を見ている。

7.「『千と千尋の神隠し』に描かれた怪異世界の風景」
今から8年前に大ヒットをしたジブリ映画「千と千尋の神隠し」のことについて書かれている。そういえば「となりのトトロ」や「平成狸合戦ぽんぽこ」にも考察の幅が伸びると思われたが、本章はあくまで「千と千尋」一本に絞っている。

8.「怪異世界と心の中の景観」
1.のところで紹介した3つの風景の中で第二の風景である「怪異の風景」のことを言っている。

9.「現代日本の怪異世界イメージ」
現代日本における怪異世界、いわゆる「お化けや幽霊の世界」、今は亡き丹波哲郎の言う「霊界」というイメージはどのようなものかということについて書かれているが、TVや漫画にて容易にイメージできるが、はたしてそれが本当の怪異世界なのかというと首をかしげる。

10.「廃墟と幽霊・怪異世界」
11.「現代の廃墟と近代化遺産」
この2章では心霊スポットの定番として挙げられる「廃墟」について取り上げられている。
百鬼夜行や妖怪に関連する文献から調べても、廃墟が舞台となっている数は多く、イメージとしてつきやすいということが分かる。では廃墟はなぜ怪異世界として容易にイメージできるのだろうか。
廃墟というのは程度に差があるとはいえ過去の産物である。廃墟というその建物そのもの、もしくは建物の中に入ると霊がいるという不気味さというよりも、時間を過去に押し戻されるような感覚に陥るのではいのかというのが私の考えにはある。
本書ではなぜ廃墟が多いのかというのが「時代の裂け目」があるのではないのかという。
これは「なるほど」と思った。現在と廃墟となった時代との違いがあたかも「裂け目」としてとらえられるのだから。

12.「妖怪の出没する場所と時代」
妖怪の出没する場所と言うと前章までのところで廃屋であったり森林であったりと様々であるが時代的にも変化をするという。

民俗学と言っても「慣わし」というようなものがなく、地理学と言っても「地形」というものがない。「風景学」というのは「風景」から様々な事や物を考察を行う。その風景をとらえる文献は肉眼で捉えられるものから芸術作品に至るまで様々なものがあるのかもしれない。風景学については私自身まだ分からないところもあるのでこれから調べていこうと思っている。
もう間もなく梅雨が明け、厳しい夏が始まる。そういう時期に怪談話はちょっとした清涼剤の役割を果たす。ただ嫌いな人はあまりお勧めできないというのは付け加えておかなければならない。