塩の文明誌―人と環境をめぐる5000年

皆さんは「塩」についてどのようなイメージを持っているのだろうか。
良いイメージだとすれば「生命の源」「海」「ミネラルの宝庫」というのがある。
反対に悪いイメージだとすれば「高血圧の元」「摂り過ぎ注意の物」というのがある。
良くも悪くも「塩」というのは何かしら印象があるというのはある。では「塩」はどのような歴史をたどってきたのか、そしてどのような価値であったのだろうか。
本書は「塩」についてありとあらゆる観点から考察を行っている。

第一章「塩とは何か」
「塩」はどのようにしてつくられるのか、そしてどのような種類があるのかということについて知りたくなる。
「塩」は主に海や塩湖から採取している。世界にある6割が岩塩であり、残りは海塩や湖塩である。
今となっては「食塩」と言うように調味料として扱われることがほとんどであったのだが、昔は貨幣の一つとして扱われ、大航海時代の時でも胡椒と同じく重宝されたものであった。日本でも同様に江戸時代では財源確保のため塩の専売制度を導入した藩も存在するほどであった。
今では簡単に手に入る塩であるが、当時は手が出せずむしろ貴重品と同じような扱いであった。

第二章「塩が生かす生命」
最近ではキャラメルや飴といったお菓子にも「塩」というのが意識し始めた。「塩」と言うとしょっぱいという印象が強いが、それと甘さが相殺されることにより、大人の味が出てくるといわれる。新たな酒の肴、特にカクテルのお供として相性が良い。
日本では醤油や塩漬けというように塩と密着している一方で健康のための「減塩」というのが叫ばれている。生活習慣病の原因の一つに挙げられており、どうやら脂質や糖質と同じく「悪者」にしようとしているようにしか思えない。ただしその一方で、これから暑い夏の時期で「熱中症」というのが心配になってくる。そういうときだけは塩分も取りましょうという。
健康にいい・悪いというよりも塩についてもっと理解した方がいいのではというだが私もその通りだと思う。

第三章「塩は世界をめぐる」
塩は水と同じく生物が生きていくに当たって重要な成分の一つと言え、塩は潤いの源の一つともいえる。その一方で農作物といった植物にとっては「塩害」という厄介な側面もある。
日本ではあまり聞きなれないように思われがちだが、日本でも他人事ではない。台風による暴風や高波により、海の成分がそのまま農作物に影響を及ぼすということがある。
さらに黄砂も海を渡ってきているので塩分を運ぶという働きがある。しかしこの黄砂は塩分というよりも塩菌(好塩菌)というのが運ばれており、食糧保存の方法の発見の材料となるなど良い影響を及ぼしている。

第四章「塩と文明の興亡」
塩と文明というのは切っても切れないものである。メソポタミア文明崩壊の陰には塩があったとされているのがその証拠としてある。このメソポタミア文明は2つの川の間によって生まれた文明である。その川というのはトルコ・イラン・イラクにつながる「チグリス川」や「ユーフラテス川」である。この文明の崩壊というのは第三章でも述べた塩害の影響によるものとされているという。
生物として生きていくにあたり、塩というのはオアシスとなるのだが、その一方で塩が牙をむき文明を崩壊させてしまう、もしくは枯渇させるという側面があると考えると恐ろしいものである。

第五章「人類は塩とどうつきあうのか」
では「塩」は本当に有害なものかというのを考えていく。
塩は生物が生きていくに当たり重要な成分であるというのは言うまでもない。しかしその一方で塩害など私たちの生活の中で害を及ぼすという側面もあるというのは分かった。ではどう付き合っていけばいいのか。

これからの時代、「環境」という言葉にだんだん敏感になっていくことだろう。そのためには自然との共生、昔から自然を利用して人びとは暮らしていった。その考えを再考すべきなのではないのだろうかと言いたいところだが、環境問題だからと言って何かと二酸化炭素減少や節電やエコ製品に走るというのは筋違いとしか言いようがない。
今の文明を生かしながらこれからどのような共生を図っていけばいいのかというのをもっと考える必要があるのではないのだろうかと私は思う。