ヤンキー進化論

不良文化と言うと何か陰湿な印象を持ってしまうのだが、そこにスポットを当てているというと興味深い。今となっては「ヤンキー」とは何なのかという存在が問うようになっているのだが、そもそもヤンキーとはどのような存在なのかというのも考えたくなるし、どのような歴史を辿って行ったのかというのも知りたくなる。本書は不良にまつわる文化・歴史を当時の流行とともに探っていくというユニークな一冊である。

第1章「「ヤンキー」とは誰か?」
ヤンキー」という言葉が生まれたのはアメリカというのは誰もが知っていることであるが、もっと突っ込んでいうとオランダ系移民がアメリカ北東部に住むイギリス系移民を読んだ時のあだ名が由来であるとされている。独立意識が高く、裕福でリベラルな思想を持っていることによっている。
自分たちを優位な立場を表すために「ヤンキー」と言われる一方で、中南米などの国では蔑称として扱われることが多い。
日本でも幕末から明治にかけては西洋に対して畏敬の念を抱き、積極的に取り入れようとしたことから「東洋のヤンキー」と呼ばれたことから始まっている。
今となっては、不良少年・少女のことを「ヤンキー」と呼ばれるようだが、今蔓延っている保守的な思想に反発を抱いて、それに逆らい、自分を主張するようにするために剃り込みを入れたり奇抜な服装をしたりするようになったことから「ヤンキー」という風に呼ばれたのかもしれない。

第2章「ヤンキー以前」
「ヤンキー」の語源について調べてみたら長くなりそうなのでここから本書のところに入っていく、第1章では「ヤンキー文化」の80年代に大ヒットした「横浜銀蠅」が取り上げられている。
本章ではそれ以前にツッパリやヤンキーに関しては「非行少女」という映画が1963年に取り上げられているのを皮切りに、梅宮辰夫主演の「不良番長シリーズ」、80年代では「紳助・竜介」が出演した「ガキ帝国」というのが出てきている。こういった時代から60年代から不良文化は成長し始め、紳助・竜介や横浜銀蠅の時に爆発的に隆盛したというべきだろうか。

第3章「「東京ヤンキー」の時代」
ここではヤンキー文化の中から東京におけるヤンキー文化をピックアップしている。

第4章「暴走の季節とヤンキー」
ヤンキーの一つとして挙げられるのが暴走族である。実家にいても一人暮らしをしていても夏場になると深夜暴走族の騒音が名物(?)になってしまっている。
暴走族の歴史は1950年代、バイクが誕生したことにより「カミナリ族」が誕生したことから始まった。
本章では暴走族ファッション(特攻服など)の変遷から暴走族漫画の変遷に至るまで書かれている。

第5章「さまよう「ヤンキー的なもの」」
1970・80年代にかけてヤンキーの全盛期の一つと言える。その証拠に挙げられるのが原宿の歩行者天国(ホコ天)や「竹の子族」、「なめ猫」と言ったものが流行していた時代であった。

第6章「ヤンキーとツッパリ」
章題を見てふと疑問に思った。
「ヤンキー」と「ツッパリ」の違いとは何か。どちらも不良少年の呼称であることは変わりないのだが、「ヤンキー」は主に関西で、「ツッパリ」は主に関東でよくつかわれていたという。しかしこの「ツッパリ」という言葉は70〜80年代の一時期しか使われず死語になってしまったが、最近では不良漫画や映画が人気を呼んだことにより、死語ではなくなり始め、再び日の目に出るのかもしれない。

第7章「親衛隊文化とヤンキー」
ヤンキー文化の中であこがれの存在だったのが「ロックンロール・ボス」で有名な矢沢永吉である。矢沢栄吉のファンは今も昔も熱狂的なファンが多いが、昔、キャロルの一員だった時代から特攻服の着た親衛隊というのがあったという。それ以外のファンがビビって入れなくなることを恐れてパンフレットには「特攻服入場お断り」という文言があったり、厳戒態勢の中でのライブになったりすることもあったという(「特攻服入場お断り」は現在も書かれているそうだ)。
それだけではなく本章ではヴィジュアル系やジャニーズ系のファンの変遷に至るまで「親衛隊」という縛りで書かれている。

第8章「ヤンキー・メディアの隆盛」
ヤンキー・メディアと言うと何を思い浮かべるのだろうか。最近では「クローズ」や「ドロップ」を代表するようにマンガが非常に多くなった。それに伴って映画やドラマ化されるなど「ヤンキー・メディア」は再び盛り上がりを見せている。しかし現実のヤンキー達はと言うと「絶対悪」というような風潮になっており、また薬物汚染の象徴と言うように名指しされるようにもなってきた。そのこともあってかヤンキー・メディアに関して否定的な考えを持つ人も少なくない。
ヤンキー・メディアは人気を得ているが、極めて複雑な位置にいると考えられる。

第9章「拡散するヤンキー」
ヤンキー文化は日本のみならず海外でも隆盛しているという。なぜ海外まで波及しているのかというと日本文化、特にアニメや漫画と言ったポップ・カルチャーが影響している。

第10章「おわりに――格差社会の中で」
格差社会の中でもまだ息づいている「不良文化」。私はそれに関してまだまだ興味を持っており、やってみたいという願望はないものの、その文化に関してもっと考察をしたいという形での願望はある。
不良文化は廃れることなく、形を変え続けながら続いていく。本書を読んでそう思った。