一日一生

仏教天台宗の総本山延暦寺。厳然と聳え立つ寺は日本仏教の中で最も修行の厳しい寺としても知られている。とりわけ「千日回峯行」は「過酷」という言葉だけでは言い表せられないほどであり、しかも失敗したらその場で自害をしなければいけない決まりとなっている。その途中の9日間は断食・断水・断眠・断臥(横たわらないこと)で不動明王の真言を唱え続ける「堂入り」というのがある。一昨年それを別の住職が達成したというニュースがあり、戦後では僅か12人しか達成していない。著者はこの「千日回峯行」を2回達成しており(比叡山では著者を含め3人しか達成していない)日本仏教界の「生き仏」として崇められている。その著者が自らの人生と、仏教徒としての人生訓をありのままに描いている。

第一章「一日一生」
ここ最近、「がんばれ」「成長しろ」「上を目指せ」とよく言われる。
しかし、本当にそれが正しいのかというと、本章を読む限りそうとは限らないように思えた。
「身の丈に合ったことを毎日くるくる繰り返す」
「ありのままの自分としかっと向き合い続ける」
「人は毎日、新しい気持ちで出会える」
決して背伸びせず、あくまで「自然体」で生きていくという気持ちが芽生える。

第二章「道」
酒井大阿闍梨の人生は波乱と紆余曲折に満ちたものであったように思えた。
しかし当人はそのように思っておらず、むしろ無駄ではなかったと述懐している。
そのような人生を歩み続けやがて酒井氏は仏門を叩いた。

第三章「行」
最初にも書いてある通り比叡山の修行は日本の寺院のなかでも最も厳しい類に入る。酒井氏は様々な修行に関して自ら思ったことを克明に描かれており、特に「常行三昧」については生々しく、かつ痛々しくもあった。
数々の厳しい修行を乗り越えた理由として「好奇心」と「学びと実践」というのがあった。
実践をする価値の高さというのはビジネスにおいても重要視されているが、その根源に仏教もあるのかもしれない。

第四章「命」
命というのは尊いものであるが、これについて教えられるという機会はあれどもそれをじかに感じるということは少ない。
本書は酒井氏がありのままこのことについて書かれており、間接的ではあれど「命」の温もりというのが感じ取れる。

第五章「調和」
人と人のつながり、人と自然のつながり、人と動物のつながりといろいろな「つながり」を持ちながら調和を図っている。

私はこれまで様々な本と出会い、実践し、自らの血肉としてきた。しかし本書は読んだ後、言葉に変えられないほどの温かさを覚えた。何度も言うようだが本書は酒井氏なりに感じたことをありのまま書かれている。その一言一言が自らの心に温かさを与えているようだった。読んでいくうちに涙が浮かんだ。自ら過酷な修行のなかで感じそこで思っただけのことである。しかし、私たちのように傍から見ている人たちは、偉業を達成した人、生き仏として今日も崇められている。
一つ思うことがある。
・成功とは何を指すのだろうか。
・プロフェッショナルとはどのように定義しているのか。
他にもいろいろな疑問があるが、それ自体を目指す人も中に入るのだけれども、本人はそう感じていないというのがほとんどであろう。「成功」にしても「プロフェッショナル」にしても周りからはそのように称えられていても、本人はそう感じずに只々目の前のことに夢中になっている。
本書は疲れた心を癒したい人、そして自らの道が分からなくなった人にとって至高の一冊と言えよう。