異端の民俗学

民俗学と言うとその土地の習わしや事柄、日常や文明に至るまでを文献、もしくはフィールドワークによって考察・説明を行う学問である。日本における民俗学は農商務省官僚であった柳田國男がその学問の道筋をつけたとされている。ちなみに柳田民俗学の原点にあるのは文献ではなくフィールドワーク中心であり、今日の民俗学研究でもフィールドワークにより考察されたものが多い。

さて本書の話であるが、本書は差別や性といった、TVや新聞ではタブー視される民俗学について考察を行っている。風習と言えば風習であるが、社会問題になりかねない事柄が多いことから「異端」と言われているのかもしれない。

序章「柳田國男と共同幻想」
柳田國男から「天狗」と「サンカ」の話である。
天狗と言うと童話など様々な物語から出てきているが、天狗についての起源は中国大陸の物怪と言われており、その話が日本に伝来し「日本書紀」にて書かれ始めたといわれている。
「サンカ」は「山中を移動しながら様々な生業についたとされる漂泊民」である。
「天狗」は山伏の恰好をするといわれていることを考えると本章では「山」と言うのがキーワードになる。

第1章「福澤諭吉と下級武士のエートス」
福澤諭吉と言えば「思想家」としての方が有名である。それを象徴させる著書として「学問のすすめ」や「福翁自伝」というものが挙げられる。
しかしその福澤諭吉も「民俗学者」という側面があるということから、本書のタイトルにある「異端」の一端を担っている。
福澤諭吉が民俗学者として考察したのは上級武士と下級武士のエートス(倫理観、モラル)の違いについて考察を行っていた。明治時代の「士農工商」と呼ばれる平等主義の前であり、まだ身分違いがはっきりとしていた時代だからでこそ考察のしがいがあったのではないのかと思う。

第2章「喜田貞吉と「賤民」の歴史民俗学」
喜田貞吉は歴史学や文学者として有名であるが、戦後以降問題となっている「被差別部落」研究の草分け的存在として知られる。歴史学者と被差別部落の研究の先駆けと言われているだけあって本章のタイトルは喜田貞吉にとってタイムリーなものと言える。

第3章「尾佐竹猛と下層の民俗学」
前もって言っておくが、尾佐竹猛は民俗学者ではなく「法学者」であり、大審院(現在の最高裁)判事や衆議院憲政史編纂会委員長などを歴任した憲法や刑法に関してのスペシャリストであった。それだけではなく法律や制度における歴史、いわゆる「法制史」についても熱心に研究したとされている。
本章では「下層の民俗学」とされているが疑獄などを扱っている「犯罪」における民俗学、犯罪者は罪の内容によってエタや非人という身分に下げられることもあることから「下層」と言う章題が出てきたのではないかと考えられる。

第4章「中山太郎と人柱の民俗学」
「中山太郎」とはいっても、現役の衆議院議員の人ではなく、民俗学者の中山太郎について取り上げている。
中山太郎については「人柱(生きたまま埋められること)」における民俗学について取り上げられているが、それ以上に際立ったのは柳田國男との論争(もとい「口論?」)が印象的だった。

第5章「瀧川政次郎と禁断の日本史」
この章題の後半は非常に気になる。どのように「禁断」なのだろうか。
本章で紹介されている瀧川政次郎もまた法学者であるが、軍部の弾圧で大学を追われ、東京裁判では嶋田繁太郎(海軍大将)の弁護士を務め、その後は地方史、とりわけ遊女や南朝の研究に尽力したといわれる異色の存在である。
本書で言う「禁断」は戦前にタブーと言われていた「遊女」や「男色」、「南朝」のことを指している。

第6章「菊池山哉とエッタ族の人類学」
江戸時代には平民以下の身分として「穢多(エッタ)」と「非人」と言うのがあった。特に「穢多」は非人と違って一度その身分になったら末代まで戻ることができないというものであり、身分制度が廃止された今でも「被部落差別問題」の一つとして挙げられている。
この「穢多」は神道や仏教における「穢れ(仏教では殺し、神道では血)」を行うものとして扱われた。これらの宗教性からして、人間以下の扱いがされたと言われている。

第7章「赤松啓介と解放の民俗学」
本章で書かれている民俗学、もとい赤松啓介の民俗学は柳田國男が研究したそれと違い、どちらかと言うとアウトローの民俗学について考察を行っている。本書のタイトル「異端の民俗学」を地で行くような、まさに「ミスター「異端の民俗学」」と言うべき存在である。
では赤松啓介が紡ぎだす民俗学というのは何なのか。簡単に言うと「性民俗」、「夜這い」や「慰み」といった類のものである。その民俗学に関してとある女性学の教授が批判をしたことでも有名であり、論争にまでなったとかならなかったとか。

民俗学とはいっても、その国や地域における習慣のことについて考察や研究を行う学問であるが、その範囲と言うのは一概に決められていない。時には普段当たり前にある様な習慣を考察するものもあれば、本書のようにアウトローな習慣や習俗に関しての考察もある。
民俗学と言うのは実に幅広いというのが良くわかる。