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2009年8月

異端の民俗学

民俗学と言うとその土地の習わしや事柄、日常や文明に至るまでを文献、もしくはフィールドワークによって考察・説明を行う学問である。日本における民俗学は農商務省官僚であった柳田國男がその学問の道筋をつけたとされている。ちなみに柳田民俗学の原点にあるのは文献ではなくフィールドワーク中心であり、今日の民俗学研究でもフィールドワークにより考察されたものが多い。 さて本書の話であるが、本書は差別や性といった、T […]

やめられない、止まらない

かっぱえびせん。 …というのは冗談にしておいて、 「やめられない、止まらない」ことですか。 私だったら「書評」と「仕事」ですね。 書評はやり続けてもうじき2年半(もう何百冊書評したか忘れました)。 「仕事」もようやくプロジェクトが佳境を超えまして、落ち着いたところですが、仕事中毒なんでしょうかね。休みの日でも仕事のこと考えたりしてますよ。日曜日になると月曜日が待ち遠しくなったりしますね。 コネタマ […]

老いを照らす

まだこの年齢であるので、「老いる」と言うのはまだ先になるかもしれない。しかし「老後」と言うのを考えるというのに早すぎも遅すぎというのはない。ただ遅すぎても「手遅れ」と言われることもあれば、早すぎると、老後にならないうちにポックリということになればシャレにならない。 人は誰しも「死」は訪れるが、「老い」に関しては訪れる人もいれば、中には訪れない人もいる。しかし今日は高齢化社会と言うのを考えると「老い […]

藤巻流 実践・巻き込み術

本書の著者である藤巻幸夫氏は数々の人を巻き込みながら福助の再生に尽力し、ファッション業界に大きな旋風を巻き起こし、今となっては「伝説のカリスマバイヤー」と呼ばれるまでになった。現在は兄弟で共同経営をする株式会社「フジマキ・ジャパン」の代表取締役副社長に就任している。その一方で様々なショップを展開するなど、東奔西走の毎日を送っている。その中でも数多くの「巻き込み」を行いながら当人は楽しく仕事をしてい […]

なぜ僕は理科を好きになったのだろう?

最近「理科離れ」と呼ばれて久しいが、そうさせてしまっている要因の一つとして、科学の楽しさを学べる一方で理論や計算式、定義といったものばかりが教えられるという学校特有の現状がある。小学校のころまでは科学をする楽しさというのがあったのだが、だんだんそれが気難しいものになり、高校に入るともはや何語だかわからないという人も出てきたことである。 物理や化学、生物に地学は用語や方程式といったものは欠かすことは […]

板垣征四郎と石原莞爾

8月15日、大東亜戦争、及び第二次世界大戦が終焉して64年という節目を迎えた。同時に日本軍の中で「天才」と唱われた石原莞爾の命日でもある。板垣の生涯について、石原の生涯についてといったそれぞれの紹介の本はこれまで多く刊行されており、満州についての本も板垣と石原の両方について書かれている。 しかし本書は、あくまで「板垣征四郎と石原莞爾」をクローズアップしているため、満州建国や大戦、東京裁判に至るまで […]

あなたは一人で焼肉を食べに行ける? 行けない?

2日連続のネタ記事です(笑)。 仕事で遅くなったときはこう言ったネタでつないでますが、ココログには「コネタマ」というものがありますが、知ってはいたもののあまり使ったことはありませんでした。というよりも書評がほとんどだったのであまりこういうことに関心がいきませんでした。 フリーなテーマだとあまり書きたいものがないのでこういったテーマ縛りだと、結構書けますね。 さて、今回のテーマは「あなたは一人で焼肉 […]

社会という檻

「世間」「社会」「常識」「一般」とい言葉が飛び交う世の中。そういった言葉たちがあたかも当たり前のように叫ばれている。そのことによって思考停止に陥る弊害もあるが、良く口にしている人たちはそれに全くと言っても気づかない。そういった人が本書のタイトルである「社会という檻」の中に入っていることに気付かず、かつ出ようと思わないのではないかとさえ考える。 では本書はそういったことを突いた一冊なのかというと、そ […]

奏でる声

「声」というと通常は「奏でる」と言わず「うたう(「歌う」「唄う」「謡う」「詠う」など様々な意味合いを持つ)」 本書の舞台はオーストラリアの北西部、ちょっといけばオーストラリア最大の砂漠地帯(ゴビ砂漠?)がある。そのためか本書では「砂漠」と言う下りが数多く存在する。オーストラリアというと私たちが認知しているところではエアーズロックを除けばシドニーやメルボルンと言った東海岸の部分が多く、次にパースがあ […]

夏の宿題は先にやる? それとも後にやる?

学生といった一方的に教えを受けるというのがなくなって1年半経ちますが、今思えば夏休みの宿題は先にやっていたか後にやっていたかというのは分かりません。 今も昔も変わりませんが、「気分次第」という他なかったと思います。 ある時期は夏休みが始まってわずか1週間で終わらせることもありましたが、またある時は終わる直前で片付けるといった夏休みもありました。 ただ、どちらかというと後者の方が多かったと思います。 […]