ネットじゃできない情報収集術

情報が洪水の如く氾濫する時代である。もはやインターネットによって調べられないものは無くなりつつあるが、ネットでも賄いきれない。それはアイデアであったり、自分自身で情報から読み取ったもの、すなわち「思考」である。本書はその「思考」を駆使しながら「考える」術、「集める」術をインターネットではできない情報収集術を伝授している。

第1章「「検索バカ」になってはいけない!」
最近ではGoogleなどの検索ツールがあるばかりではなく、なんでも調べれば情報は容易に手に入れられるようになった。Web2.0の恩恵がそこにはあるのだが、その反面「考える」力を衰えさせたという声もある。人間は良く過去の情報やそれを簡単に検索できることにとらわれがちであるが、自分の足で手に入れた情報にこそ価値がある!
…と検索エンジンに時々お世話になる自分自身の自戒として語る。

第2章「「遠回り情報収集術」で勝利する!」
情報収集の材料は何もパソコンの上ばかりではない。外に出るとありとあらゆる情報が氾濫しているが、これは今も昔も変わらないといっていい。情報が氾濫しているのはむしろネットにおける世界の方が強いと言える。
さらに外に出て歩き回ることによって脳の働きも活発になる。新しいことを考える、自分の考えをまとめるためにメモ帳とボールペンをもって街に繰り出すことが肝心であるという。

第3章「街歩きこそ最大の情報収集法――都市の発するノイズへの嗅覚を磨く」
街を歩いていると世間話や街頭広告など様々なノイズが発する。歩きながら勉強をしたり考え事をしたい人、静かにしてほしいという人にとってはたまったものではないのだが、そういう所にビジネスや人生におけるヒントが隠されていることがある。
また繁華街とはいっても渋谷や表参道のように若者中心なのか、浅草や新大久保のように外国人が集まるところか、巣鴨のようにご年輩の方々が集まるところそれぞれ集まる情報も違ってくる。また新開発エリアなどなど…歩く場所をいろいろと変えてみると良いという。東京だけでも様々なところや地域性を図ることができるため奥が深いともいえる。

第4章「ネットの時代こそ新聞・本が強力な武器になる」
最近活字離れというのが顕著になっているとうるさいほど聞かされることであるが、そうではないと反論したい願望はある。しかし実際にネットは「活字」と呼べるのか「ライトノベル」は活字と呼べるのか、そもそもの「活字」とは一体何なのかという所から議論ははいっていかないといけないことも付け加える必要がある。
しかし新聞離れや本離れがあるのは事実であり、新聞の発行部数、本の総出版部数ともに低下している。
ネットの進化によりそれらは衰えて行ったのかと考えるのだが、今でも活字の力は健在であると読書家の私は信じてやまない。ネットでは手に入れられない著者の心情や意見、新聞にしてもその新聞社の性格(悪癖?)を知るために新聞を読むというのもまた、ネットではできないことであり、そこから情報を醸成することもできる。

第5章「電車移動時間はアイデアの宝庫」
私は横須賀線で通勤しているためか、ほぼ毎日満員電車に揺られている。その中でも読書をしていたり携帯電話をいじっていたり、週刊誌の中吊り広告を見ていたりしている人を毎日のように見かける。特に自分も読書をしながら他の人は何の本を読んでいるのかチェックをすることも行っているため、当ブログの書評もそこからヒントを得ていることが多い。もっともタイトルを書きとめてamazonで調べるというオチ付きであるが。

第6章「地方はアイデアと発見がいっぱい!」
地方にも地方にしかないものがあり、そこからアイデアを見つけることもできるという。陰諸君の動向から、その地域における流行、さらには地元話に至るまで至れり尽くせりである。

第7章「世間話を極める〜雑談上手のすすめ」
良くビジネスにおいて話す時は要点だけを絞るだけ、ということが多い。そんな中で余談は真っ先に省かれるところであるが、最も言いたいことと言うのは余談に隠されている場合がある。余談だらけの雑談にもビジネスヒントやチャンスが多いに隠されている。そのことを見ると雑談が苦手な私には耳の痛い話であるが、「雑談力」を身につける必要があるとつくづく思った。

ネットは進化しており、情報もますます簡単に手に入る様になる。しかしネットでは賄いきれない情報も残っており、これからそれらの価値が高まってくる。これからこういった情報収集術が重宝される日も近いのかもしれない。