辻井喬書評集 かたわらには、いつも本

セゾングループの創業者ある辻井喬氏は、詩や小説、エッセイにも活動の場を広げていた。91年に経営者から一線を退いた後にほぼ完全に文学の世界に活動の場を移し、文学のみならず書評においても活動を行っている人である。辻井氏は経営者になる以前からずっと傍らに本があれば読書を行う。それを人生の歓びとしているほどの読書家ともいえる。本書は辻井氏がこれまでであってきた書物を丹念に評した書評集である。

Ⅰ「先人たちの文業」
ここではわずかしか評されている本はないが、いずれも「名作」と呼ばれるものばかりである。著者自身が最も感銘を受けた、もしくは人生に大きく影響を与えた言わば「座右の書」と言うべきところであろう。
ヨハン・ホイジンガ「中世の秋」、トーマス・マン「魔の山」、邦作であれば川端康成と三島由紀夫の「往復書簡」などが挙げられている。
とりわけ「魔の山」は3つに分けて評されているだけではなく、自分の人生と重ね合わせながら語っているところからすると最も影響を受けた作品、もしくは何十回も、何百回も読み返したという感もある。

Ⅱ「同時代の作家たち」
本章で挙げられている作家は著者と生年が近いことが分かる。同時代に生きた作家たちの作品、それは一体どのようなものなのかを読んで、見て、感じ取ったところを述べたところである。
同時代と言っても有名な著者ばかりで、松本清張、瀬戸内寂聴、丸谷才一、石原慎太郎と枚挙にいとまがないほどである。
特に印象的だったのが瀬戸内寂聴の「秘化」の評である。当ブログでも「秘化」は取り上げているものの掘り下げ方がまるで違い、世阿弥の生涯とエピソード、さらには他の瀬戸内作品との位置付けなど、瀬戸内作品や歴史に精通している人でなければ評すことのできない所まで達しているように思えた。この表を見る度に「私はまだまだだな」と呟いてしまう。

Ⅲ「新たなる文学の予兆」
「文学」も他と同様に進化をする。本章では著者より一世代以上前の文芸作品について取り上げられている。ⅠやⅡで取り上げられている作品より、若干難易度を落とした作品が中心であったものの、数多くの本を読まれているせいか、それらの作品を読みたくなるほどの深みを引き立たせている。

Ⅳ「自然・思想・文化を評する」
思想・文化に関しては当ブログでもいくつか取り上げている。本章では大まかに分けると憲法やマックス・ウェーバーなど政治思想、文学論、自然論に分けられる。まさに章題通りと言うべきかもしれない。
印象深かったのは音楽論も取り上げられているところにある。ベートーヴェンの全交響曲をわずか1日で、全曲通じてタクトを振った経験のある岩城宏之、現代音楽に多大な影響を及ぼした武満徹が本章では挙げられている。

Ⅴ「詩・短歌・俳句の世界」
辻井氏は小説などの文学作品や自然科学などの一般書・専門書のほかに「詩・短歌・俳句」の造詣も深く、それに関する書評も多々行っている。私たちのようにビジネス書や一般書を取り上げている人たちでは、めったに取り上げられない部類に入る。その理由には「詩・短歌・俳句」にはそれに通じる人でなければ語ることの難しい独特の「深み」がある。
当ブログでも、記憶によれば1回も取り上げていなかったと思う。1度はチャレンジしてみたいと思いつつ、本章を読んだ。

よほど本が好きでなければなかなか取り上げられない本ばかり取り上げられていたという印象が強かった。さらには作品を掘り下げながらも、自分の人生と重ね合わせながら評することによって、本の魅力が何倍にも、何十倍にも引き立たせられる書評の凄さを垣間見た。本書は書評の魅力の可能性がぎっしりと詰まっている。