薩摩藩士朝鮮漂流日記 「鎖国」の向こうの日朝交渉

日本と朝鮮半島の緊張関係は今もまだ続いており、戦争責任論や竹島問題を中心にキナ臭いことが続いている。日本と朝鮮半島のいがみ合いの歴史は長く、秀吉が朝鮮半島に侵攻を行ったときからである。確か韓国のドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」で済州島に流刑されたチャングムが医女として修業を積んでいた時、倭国(日本)から武士がやってきて、チャングムが治療に当たったことにより騒ぎとなった話がある(確か第28話あたりだったかな)。朝鮮半島の民がこの時から敵意の強さが顕著になったと推測する論者もいる。ただし江戸時代には将軍が変わるたびに朝鮮から通信使がやってきて代わり事がなされたという史実があるため、一概にいがみ合っていたとは言えない。
さて本書の話に移る。本書は1819年に薩摩船が朝鮮に漂流する事件があった。それにまつわる漂流記を記したものである。

第一章「近世日本の朝鮮意識」
太閤・豊臣秀吉が天下統一をしていた時の頃、秀吉は世界の王になろうとまずは当時の明の信仰の足掛かりとして朝鮮半島に攻め入った。俗に言う「倭寇」である。当時の朝鮮半島は「中宗」が王になっていた時代で、まだ安定をしていた時である。最初にも書いたのだが「宮廷女官チャングムの誓い」においても日本の武士が出てきた時代背景を鑑みても想像に難くない。当時の朝鮮半島は中国大陸と長きにわたり朝貢を行い続けており、「小中華主義」であったといっても差支えないほどである。

第二章「事件のはじまり」
薩摩船朝鮮漂流事件は1819年に起こったものであるが、当時は第事件に近いものであったとされているが、徐々に風化し、現在では歴史上でもあまり知られていない事件の一つとして挙げられている。と言うのは日本人が朝鮮半島に漂流する出来事はこのほかにもいくつか取り上げられており、江戸時代のあいだ92件にも上っているためである。
ちなみに本書は「朝鮮漂流日記」など、実際事件に遭遇した人たちがまとめた日記や手記を軸にしながら当時の時代背景とともに考察を行っている。そのため漂流者の視点が非常に強くあらわれているところも本書の特徴の一つである。

第三章「船を棄てる」
朝鮮半島に漂着した薩摩船の人々であったが、第一章のように反日感情は強く漂流された先では執拗な事情聴取をさせられた。しかし現在のような反日感情は抑えられているように思える。両国とも鎖国により他国の情報のほとんどが遮断されていたためだろう。

第四章「帰途」
朝鮮半島から日本に戻ったのは翌年の1月(本書の表記では正月とされている)。前章にも述べたように反日感情はそれほど強くなかったためかどうかは分からないが、「日本だから」と言うような冷遇の記述は書かれておらず、むしろそれなりの待遇であった描写が窺える。

江戸後期に起こった朝鮮半島漂流事件であるが、歴史的に影響を受けたと言われると、首をかしげたくなる。鎖国を行っていた両国が他国の漂流事件の中で何を築いていったのかというのはこれから大きな発見につながるのかもしれない。