中島敦「山月記伝説」の真実

中学か高校の国語の授業でおなじみの「山月記」。私は高校の時に山月記に出会い、テストの向けて暗記をするほど何度も読み返していた事を昨日の事のように覚えている。
その著者である中島敦はそれほど有名にならず33歳の短い生涯に幕を下ろした。
中島敦はどのような生涯を送ったのか、そして名作「山月記」はどういった経緯で生まれたのか、本書はそれらのことについて迫っている。

第一章「カメレオンと虎」
山月記に出てくる動物は「虎」であるが、官吏として優秀な成績を残していたのだが君主にひざまづくよりも後世に名を遺したいと思い詩を書き始めた。しかし名声は得られず結局官吏に戻ったが、そこで自尊心を傷つけられ発狂し、人喰い虎になった。
しかし彼は自らを「虎」とは呼ばず「カメレオン」にたとえている。発言や考えが一貫せず、変わることが多いからであるという。

第二章「虎の咆哮」
中島敦は複雑な家庭環境の中で育てられ、若いころに喘息という大病を患い始めた。後にそれが原因となり、33歳の若さでこの世を去ったと言われ、「早逝の天才」と言われている所以となっている。
前述のような環境のなかで「正気」と「狂気」を共に育ませ、どちらか傾きかねないような綱渡りの感情のなかで、小説のなかにありのままをぶつけて行った。
友に飢え、生に飢えた感情が「山月記」や「李陵」に込められており、今日でも愛されている。

第三章「伝説誕生の裏側」
山月記の主人公は李徴であるが、狷介で自尊心の強く、扱いにくい人間であった。その男の数少ない友人に袁傪という人物が登場するのだが、そのルーツは中島の人生のなかで、どのように醸成して言ったのだろうか。
その真相は中島が大学に在籍していたころに遡る。中島が大学を卒業したのが昭和8年。彼の動機であり、同じ研究室で過ごした2人の友人がおり、その人物が後の袁傪の下地となった。

第四章「友情と嫉妬の渦」
大学の同期外でも、少ないながら友人は存在した。その中から二人を本書は紹介している。その友人も同じくして文学者の道を歩み始めたのだが、途中で中島の文学に触れ論評を行っている。

第五章「有名だった種本」
この山月記にはもととなった本、つまり「種本」が存在していたことは私自身知らなかった。
中国の「人虎伝」である。中国の文学から文芸作品が誕生したのは本作ばかりではなく、芥川龍之介の「杜子春」も「杜子春伝」が種本とされている。この「杜子春」も名作の一つとして挙げられるが、「山月記」がこれほどまでに人気が上がり、高校の教材で使われるようになったのか、当時は「人虎伝」の翻訳書がブームであったこと、そして数少ない友人の支えに他ならなかった。

巻末に「山月記」の全文が掲載されている。旧字体で書かれており、それに慣れていない人にとっては若干読みづらい印象であるが、高校の時に触れたことがある私にとって、妙な懐かしさを感じた。袁傪が下吏に命じて漢詩を書き取らせたシーンは今でも自分が学ばなければならないこと、自分が心がけなければならないことが詰まっている。
「山月記」は私の文学作品における「心の郷」だと考える。