無駄学

無駄学 (新潮選書) 無駄学 (新潮選書)
西成 活裕

新潮社  2008-11
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世の中には数多くの「無駄」が存在する。これはある人にとっては必要なことであっても、傍目から見たら「無駄」と思うものも含めて、である。世の中では「無駄」は排除すべきというのが一般論として挙げられているが、では「無駄」とはいったい何なのだろうかという問いに移る。
本書ほど「無駄」について科学を含めて多角的に論じたものはないと思うが、そもそも本書の著者である西成氏は渋滞にまつわる研究者であり、新潮選書で10年間の研究成果を1冊に結びつけた「渋滞学」というのを以前に上梓した。本書は渋滞学から派生した「無駄」というのを「無駄を排除する」という既成概念を取り払って、向かい合った一冊と言える。

第1章「無駄を科学する」
「もったいない」「無駄をしてしまった」というような思いをした人はほとんどであるが、ではいかにして「無駄」という言葉ができたのだろうか。著者は「渋滞」にまつわる研究をしていった中で「タイムロス」というのができ、それが「無駄」という図式ができた。
その無駄をなくすために「なぜなぜ思考」などいわゆる「論理」が重視されていく中で解決をしていくというのもあるが、本書では「直感」というのも重要視している。

第2章「無駄とは何か」
では「無駄」とはそもそもどのような意味なのだろうか。いつもの辞書を開いてみると

(1)しただけの効果や効用のないこと。役に立たないこと。また、そのさま。無益。
(2)むだぐち。
goo辞書より)

とある。つまりお金や命など「有効に使われていない」や「失ったとき」と言われている。では効率的に価値あるものを使っていくのか、目的化をしたり、最適な使い方を見出すことが「ムダとり」というものである。
お金にしても収入を得る「インプット」と支出の「アウトプット」をいかにして最適なものにするのか、本章では数式やグラフを用いて「学問」として考察を行っている。いわば「無駄」という言葉を科学的に定義をした所と言える。

第3章「無駄との真剣勝負」
「ムダとり」の歴史から本章は始まっている。産業革命が起こり、大量生産体制が始まった20世紀から始まったとされていることを考えると歴史は100年あるかないかといったところである。とりわけ「ムダとり」を積極的に進めていったのはフォードやトヨタの様に工業の生産ラインをどのようにしていくのかということからきている。有名どころでは「トヨタ生産方式(かんばん方式)」は経営学のテキストに掲載されるほどである。本章ではこの「かんばん方式」における「ムダ」の定義から方法に至るところについても言及をしている。

第4章「「ムダとり」最前線」
日本で「ムダ」を排除しない企業を探すのが難しいといってもいいほど「効率化」という名の「ムダ排除」を行っている。本章では著者自身が様々な企業に赴き、ユニークなムダ排除を行っている所について書かれている。

第5章「社会は無駄だらけ」
企業単位、個人単位でいくらを行ったとしても「無駄」というのはなくならない。しかも社会そのものの中に「無駄」というのがある。冷暖房、電気、支払い、コンピュータに至るまで様々な「無駄」が生じているのが本章で解る。
本章でもっとも共感をしたとところは「セキュリティ」に関してである。最近では騒がれている「セキュリティ」であるが、する必要のないところまで「セキュリティ」という言葉で罷り通っている様に思えてならない。それどころかこのままだと「セキュリティ」という言葉により、コミュニティの概念が崩壊される不安もある。

第6章「無駄と資本主義経済」
ではこの無駄をどのように解消をしていきながら、できるだけ無駄を排除した社会をどのように作っていけばいいのかについて提言を行っている所であるが、そのトピックが「食料問題」「資本主義」など世界的な規模にとらえているところである。
とりわけ「食料問題」の中で「精進料理」のすすめとしてとりあげてあるところが印象的である。元々日本人は意識していなくても「合理的」な生活を行っていた。それが海外の文化や概念が取り入れられたことにより、多くの無駄が生じたとも言える。江戸時代からある生活や概念を見直すというのも「無駄」を排除する一つの手段と言える。

「無駄」を排除するには、そもそも「無駄」とはいったい何なのかというのを見ていく必要がある。本書は「無駄」という概念を定義づけた上で、どのように排除をしていけば良いのかについて段階を踏んでいる。そもそも「無駄」とはいったい何なのかを見ていける格好の一冊である。

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