超訳 ニーチェの言葉

「ツァラトゥストラはかく語りき」「曙光」でおなじみのニーチェの名言集と言える一冊である。ニーチェの作品は大学・社会人に渡って何度か読んだことはあるのだが、哲学書の中でも難しい部類に入るほど読みにくく、一冊読むのにも時間がかかる。それもそのはずでニーチェ自身が難解な事柄を思索しながら真理を見いだしていったというひとの用に思えるのだが、じつは反キリストとしてこの世における真理や道徳を解き明かしたという。確かニーチェの作品である「ツァラトゥストラはかく語りき」はリヒャルト・シュトラウスによって楽曲化されたのだが、彼の代表作である「アルプス交響曲」も「反キリスト」の作品であることで有名と考えるとそのことで共通点が生まれているように思える。

本書のタイトルには「超訳」と記載しているが「翻訳」とは一線を画している。それは何かというと、分かりやすくではなく、数あるニーチェの作品の中から印象の強い一文をかいつまみ、「名言集」の如く取り扱っていることにある。ニーチェは読みにくいという固定観念を突き崩す衝撃の一冊と言える。

Ⅰ.「己について」
いわば「自己」について、24個の言葉を取り上げている。「自分とは何か」についてこれは哲学に対して大きく取り上げられている論題の一つである。

Ⅱ.「喜について」
喜びについて取り上げられているのだが、「明るいニーチェ」と呼ばれる根源と言われているところであろう。ニーチェの作品はいくつか読んだことがあるのだが、これらが際だって見られる機会が少ないだけに、喜びを中心に取り上げられていると珍しく思えてしまう。

Ⅲ.「生について」
これも哲学の中では問われることの一つとして挙げられる「生」について取り上げられている。「「生」とは何か?」という哲学にはよくある論題よりも、むしろ「生きていくにはどうしたらよいのか」という考えが中心におかれている。

Ⅳ.「心について」
心理学は哲学から派生してできた学問である。当然哲学にも心の在り方について取り上げられている。

Ⅴ.「友について」
親友の重要性は哲学上ではあまり取り上げられることはないが、本章では友情を育む、もしくは生み出す為にどうあるべきかについて10個挙げている。

Ⅵ.「世について」
世の中と言うよりも、自分がこの世の中を生きていくにあたりどうあるべきかと言うことを列挙している。哲学が誕生したとき、哲学の父といわれているターレスが「万物は水である」と唱えはじめてから約2500年の年月が流れた。この世について、と言うよりも万物はどこからできているのだろうかという論題から哲学は生まれた。

Ⅶ.「人について」
人についても哲学ではよく取り上げられている論題である。人の心理、思考、性格に至るまで人間のうちなるものとは何かについて取り上げられている。「どうあるべきか」だけではなく、人とどのような動物かと言うところまで挙げられており、私がみた中で「哲学らしい」ところまで踏み込んでいた。

Ⅷ.「愛について」
「愛」と言えばキリスト教を連想させてしまう。元々はユダヤ教から派生してできた宗教であるが、元々ユダヤ教は「戒律」を重んじていた。しかしそれについて疑問に思ったイエスが「愛」によって成り立つ事を見いだし「キリスト教」が誕生した。
反キリストであるニーチェが「愛」について語っているとなると違和感を覚えてしまうのだが、実際に「哲学」として愛を論じていてもおかしくない。

Ⅸ.「知について」
「知」としての哲学の源流を作ったのはおそらくソクラテスであろう。「無知の知」はまさに知を築くに当たっての大きな基礎となる。
本章では「読書」の在り方についても言及している。ニーチェは確かに読書について論じたことはあるのだが、これだけ目立った本は、私は知らない。

Ⅹ.「美について」
ニーチェが生きたのは1800年代に当たる。ルネッサンスが興ったのは1300年代、ニーチェはルネッサンスのことについて学ぶ機会はあったと推測できる。おそらくそれを学んだことによってニーチェ作品の糧になったのかもしれない。
美術的な美しさに限らず、人間的な美しさについても本章では取り上げられている。見たり聞いたり学んだりする事よりもむしろ、自ら感じ取って哲学化したものも中にはある。

断りを入れておきたいが、ニーチェは哲学者であり、ここに出てきた言葉は彼が思考をする家庭の中で生まれてきたものである。ニーチェの思考、思想、そして哲学は本書では読み取ることは不可能である。ニーチェの言葉を見ることは本書はベストであると思うが、ニーチェを知るためであれば、本書がスタートラインと言える。本書からニーチェの作品を知る、そして読んでいくことによって本書の良さも二つ、三つも違っていくと私は考える。