自分で考える社員のつくり方

「自分で考えなさい」といわれていてもどのように考えたらよいのかわからないことがある。それは私自身も仕事において何度も経験している。それは「考え方」のパターンを学ぶ機会が少ないこと、そして仕事においても考えることのできる機会が機械にとられてしまい「思考停止」に陥ってしまったといえばそれまでになってしまうが、ともあれ「自分の頭で考える機会」が少なくなったのは事実なのかもしれない。

本書は機会やコンピュータに頼らず「自ら考える」社員の作り方について、「ムダ取りの鬼」「カイゼンの鬼」と呼ばれた人が製造業の改善の中で得たことについて伝授をしている。

第1章「発想を転換すれば「働く喜び」は生まれる」
私が働く職場の周りには「労働は生活のため」や「労働は苦役」と主張する人を何人も見かけたり聞いたりする。
私自身の労働観は「楽しむ」、この一言につきる。時には仕事も多く、つらいときはあるが、それも一つの楽しみとしてとらえ、仕事・プライベートともに楽しむということをモットーにしている。
高度経済成長の時はものの豊かさ、金銭的な豊かさを得るための「労働」なり、「仕事」が中心であったが、21世紀になると心的な充足、いわば「心の豊かさ」を求めた「労働」や「仕事」に変化をしているのかもしれない。

第2章「ムダとりはヒトづくり」
これまで「効率化」という概念は「機械」を取り入れる、もしくは人間があたかも「機械」であるかのように働くことだと考えられていた。
しかし、その「効率化」を実行し始めるのも、それをコントロールをするのも私たち「人間」であることは忘れてはならない。ではこの「効率化」や「ムダとり」をいかにして生み出すか。それは人間が自ら持っている理性や思考が握っている。

第3章「やる気を生み出す現場改革」
しかし「考える」とはいっても、本書でも書かれているようにロダンの「考える人」の格好で考え続けることはかえって非効率なことである。
著者は自ら現場に赴き、気づいたところを直接指摘し、ムダとりに心血を注いだ。

第4章「みずから考える社員の育て方」
これから社会人になった人はもうすでに現場に行っている人もいれば、これから現場にはいる準備をしている人もいることだろう。初めて体験する本格的な「仕事」であるが、いきなりどうしたらいいのか「考える」ということはしない方がよい。とにかく「やってみる」ことに限る。それを行ったことによる「失敗」とやらなかったことによる「失敗」から得られるものは極端に違うからである。
私も社会人になって2年たつが「失敗」は数え切れないくらいやった。その失敗の積み重ねが今の「自分」と、自分の「思考」を育てている。
はじめに「思考」ありきではなく、手を動かしながら「考える」ことが大切である。

第5章「ムダとりを通して喜びのある社会を」
高度経済成長からバブルにかけて「大量生産」「大量消費」が罷り通っていた。しかし消費者の消費志向が大きく変化し、個別化・高級化していったが、最初に書いたような考えが正しいという人も少なくない。むしろそれが「労働」の場にも居るということを著者は憂いている。人間はベルトコンベアでもなければ、生産する機械でもない。労働を通じて喜びを知ることができる動物である。

ムダとりを通じて自ら考える、働く喜びを知るということを考えると、「ムダとり」は機械化ではなく、むしろ自ら考えることができるという。いかにして「働く喜び」を知ることができるのか、そしてそれを教える人が増えるにはどうしたらよいのか、私たちに課せられた課題は大きい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました