科学との正しい付き合い方

最近のニュースでは「理科離れ」が深刻化しているというニュースを良く聞く。中学や高校において、ほとんど理論を教えてばかりで、実験や体験を行うなど、理科を身近なものとして捉えられる機会が少ないからかもしれない。しかしその一方で日本における技術は世界最先端と言われている。

本書は科学の現状について述べるのではなく、その現状も取り上げるが基本的には科学でよく使われる「思考術」について書かれている。

初級編「科学によくある3つの「誤解」」
最初に書いた「理科離れ(「科学離れ」とも言う)」であるが、これは実際に起こっているのか。そもそも「理科離れ」とは何か、という疑問に至る。

・理系学部受験数の低下
・科学に対する関心の薄弱化

ほかにもいろいろあるかもしれないが、前者はその通りであるが、これは少子化の部分も絡んでいるため必ずしもそうとは言えない。後者は本書でも取り上げられているが、科学に関して関心のある人が半数以上(1600人中)にも上っており、後者の指摘は正しくないと言うことがわかる。
そのほかにも「科学アレルギー」は存在するのか、科学は科学者のためにあるという疑問も取り上げられている。

中級編「科学リテラシーは「疑う心」から」
「疑う心」と言うと、科学ではないのだが哲学の中興の祖といえるルネ・デカルトの懐疑哲学を思い出す。実際にデカルトは様々な論題を否定した後、最後に「我思う、故に我あり」という結論に至った。
科学ではデカルトのような懐疑的なものではなく、科学を「正しく読み解く」と言う点で「疑う」ことを説いている。「リテラシー」とある通り、「正しい認識」をしていく上で「仮説」「検証」というのが必要になる。これは科学に限らず、新聞やTVなどの「メディア」、さらには最近反乱している「情報」についても同じことが言える。
そして本章では「無知の知」の重要性についても書かれている。言うまでもなく、古代哲学を代表する人物、ソクラテスが唱えたものである。2つのことを考えると「科学」と「哲学」の思考は共通するところが多いように思える。

上級編「科学と付き合うための3つの視点」
著者は「サイエンスコミュニケーター」という肩書きで活躍をされているが、そもそも「サイエンスコミュニケーター」とはどのような仕事なのだろうかというと、科学技術を身近にするため、科学技術とは無縁の人たちに身近な科学について教えたり、話したり、書いたりする立場の人たちである。そもそも科学は身近なところにあるが、それに関して私たちは気づかないところが多い。それらに気づかせつつ、科学に関してより親近感を与えさせるのが役割である。

世の中には様々な「科学」が存在する。ノーベル賞を取るような最先端科学から、なにやら胡散臭いような「科学」までピンからキリまで存在する。玉石混交とも言われる「科学」をいかにして正しく知ったり、感じたりすることができるか、と言うのが「科学リテラシー」であり、サイエンスコミュニケーターの役割ではないだろうか。