「社会学」と一括りにしても、「思想学」「政治学」「民俗学」など様々な学問がある。「〜学」というと取っつきにくい印象があるが、その中で「社会学」はわりと取っつきやすい分野と言える。
では「社会学」はいったいどのような歴史を辿っていったのか、それが本書の根幹である。本書は社会学にまつわる有名な人物を中心に、社会学が辿った歴史について迫っている。
1章「アリアドネの糸」
本書では「社会学」のはしりとして、紀元前にさかのぼりアリストテレスが「人間はポリス的動物である」と定義づけたことから始まる。そこから大きく間があき、「社会」という言葉について触れられたのは近世ヨーロッパ時代、ちょうどホップズの「リヴァイアサン」が出た時代である。
2章「創始者の悲哀」
「社会学」の創始者はいったい誰なのか、本書ではオーギュスト・コントを取り上げている。正確に言うと「社会学」という言葉を初めて使った人物と言える。
コントは19世紀に活躍し社会学の前には数学や物理学など、現代で言う「理系」の学問を究め、その学問の中で進んだ歴史を「社会学」という学問にして完結させた。コントに関する研究者は少ないが、清水幾太郎が代表的人物としてあげられている。
3章「思想の革命家」
思想にまつわる革命は1・2章においてのホップズ、本書には掲載されていないがモンテスキュー、ルソーの思想によって「ピューリタン革命」や「フランス革命」となって具現化された。
しかし「思想の革命」はそうではなく、現在でもよく知られる思想家であるマルクスとエンゲルスのことを言っている。
4章「少数者の運命」
本章ではフロイトを取り上げているが、フロイトといえば「夢」など心理学的な分野ではあまりにも有名であるが、社会学についてはあまり取り上げられた文献はみたことがない。
5章「繊細な観察者」
「社会学」というと社会の傾向を分析したもの、どちらかというと各論的なもの、社会のあり方といった総論的なものなど多岐にわたる。
その中でジンメルは集団における社会から一歩外に出て客観的な視点で社会を見てきた人物である。各論的な観点から、社会学をみてきた人物とも言える。
6章「社会の伝道師」
本章ではデュルケームを取り上げているが、その中でも有名な著書として「自殺論」というのがある。昨今のニュースや世論をみてもかなり過激なタイトルと言える。
この自殺論では社会における「比較」やそれによる「死」に至るまで研究されており、「自殺」を機軸にして様々な統計により「自殺は社会的な要因」であると定義づけている。「自殺論」についてはタイトルの過激さからか一度呼んでみたいと思った。
7章「自由の擁護者」
時代は現代へと近づいていき、マックス・ウェーバーが取り上げられるようになってきた。いうまでもないが「職業における政治」など政治や社会思想において多大な影響を与えたウェーバーであるが、本書と少しはずれる内容としてウェーバーが苦しんでいたことについて紹介する。ウェーバーは母の束縛によりあまり「自由」を感じたことがなかったようである。そのことから「社会」や「政治」二まつわる理論を展開し、現代政治理論の巨人とまでなった。「不自由」と呼ばれる人生のなかから「自由」の理論を擁護するようになったのではと考える。
ウェーバーは第3章で述べたマルクスの「資本論」、とりわけ「唯物論」と言われる分野を徹底的に批判しながら宗教と社会を融合させた論理を持って「近代資本主義」の礎を築いた人物である。
8章「野外の研究者」
ここでは一人の研究者というよりも「シカゴ学派」という学派を紹介している。
舞台はいうまでもなく、アメリカであるが、今も昔もだがアメリカでは多くの移民を受け入れており、様々な人種・文化が根付いている。その一方で差別もあり、戦後間もないときには人種差別、さらに9.11前後では宗教差別が顕著に現れていた。
その中でシカゴ学派は「自我」や「都市」「生態」などアメリカからみた「社会学」を展開している。
9章「冷徹な分析家」
第二次世界対戦後、アメリカでは間をおくことなくソ連との冷戦や人種差別、ベトナム戦争などが起こった。「パクス・アメリカーナ(アメリカの平和)」が揺らぎ続けている中でパーソンズという人物が社会に関してウェーバーやパーソンズとは一線を画した分析を行ったことで知られている。
10章「オデュッセウスの旅」
本章では「文化的左翼」が冒頭に挙げられている。時代も戦後間もないとき、日本でも「六十年安保」や「大学紛争」が起こった時代である。その文化的にも社会的にも
「左翼」の活動が目立ったとき、シュッツという学者がフッサールの「現象学」という哲学の分野を社会学に昇華したものを提唱していった。
11章「シシュボスの石」
9・10章ではアメリカで展開された社会学であるが、ここではヨーロッパに戻りイギリスにおいての社会学がいかに展開されていったかについて書かれている。
12章「ヤヌスの顔」
最後は日本における社会学の歴史である。日本では哲学、社会学は開国して以降、研究され始めた分野である。
主な学者には福沢諭吉、柳田國男、清水幾太郎などが挙げられる。
最初にも書いたが社会学は比較的、どちらかというと私たちの生活に近いところにある学問と言える。しかし本書は学問としての歴史、さらに「社会学」の変遷というところが主である。私たちの生活にはあまり馴染みが薄い。しかし社会の歴史の裏の情景として「社会学」というのが息づいていることを考えると、「歴史を学ぶ」ということにもつながるのかもしれない。
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