進化倫理学入門~「利己的」なのが結局、正しい~

「倫理学」と言うととっつきにくい部分があるかもしれない。実際に「倫理」は道徳的なものであり、国家的なことにまつわる規範(法律や正義など)が挙げられ、それについて考察を行う学問である。もっとも倫理学と言っても派生して「行動倫理学」「メタ倫理学」などがあり、本書における「進化倫理学」もその一つである。

ではなぜ「進化」と名付けられているのか、またその「進化」の中にはよく倫理学にて間違いとされている「利己的」を肯定的に捉えている。その要因も含めて本書にて取り上げている。

第1章「人は利益で動くようにできている」

よくビジネスや生き方に関する本にて「利他」と言う言葉が乱舞している。もっとも他人のために行動をする、貢献をするといったものが挙げられるのだが、実際の行動や思考の多くは「利己的」であるという。人の行動自体は感情・理性かかわらず、自分自身の利益が自然に物差しとして出てくる

第2章「「利己的」な愛」

「愛」もまた利己的である。恋愛にしても両方の思いを通じているように見えて、実は片方でしか伝えていないような状況にある。もっとも愛自体も受け取り方によっては迷惑になったり、逆に害を及ぼすようなことにもなりかねない。相手のため、相手を思ってのことをやった「愛」でも受け取る人にとってはむしろ「利己的」と思えることもあるという。

第3章「友情と良心の損得」

友情や良心についても愛と同様のことが言える。相手にとって行う、いわゆる「利他」と呼ばれるものでもってやったにもかかわらず、受け取る側にとっては良い印象を受けないものもある。それもあるのだが、実際に利他的な行動をする人もまた自分自身にとっての損得を考えてしまうことがあるという。

第4章「「善」は得、「悪」は損」

本来であればこうあってほしいのだが、世の中はなかなかそういう風にはいかない。「善」をやっていても、損をしてしまうこともあれば、「悪」なことをやっていると得をしてしまうようなこともある。しかしながら「お天道様は見ている」と言う言葉よろしく、善をやっているとゆくゆくは得をし、悪を行っていくとゆくゆくは損をする。ようは長い目で見ると本章のタイトルのようになるのだという。

第5章「「私」の利益になる「正しい社会」」

そもそも「正しい社会」とは何かについてを考える必要がある。本章ではあくまで「自由」と「平等」を担保し、なおかつそれぞれの価値観の合意にて成り立つという。いわゆる日本国憲法における自由や平等、さらには民主主義が全てなり立つところにある。

倫理学というと、いわゆる道徳、モラルの所について考察を行っているが、進化倫理学自体は「利己的」が正しいという、よくある倫理学では相容れられない所に焦点を当てている。ただ人間としての行動や思考はどんなに利他的なことを意識しても、必ずどこかで利己的な側面を持ってしまう。その中の利己的な部分の考察をこの学問では行っているのだ。