著者はこれまでノート術や仕事術に関する本を読に送り出してきたのだが、本書ほど「異色」といえるような本を出版したことはなかったように思えてならない。
「残念な〜」は山崎将志氏の仕事習慣や思考法でベストセラーとなり、ビジネス書界でも流行語のように扱われるようになった。本書はそれに便乗しながらも著者自身が見たり、聞いたり、体験してきた「残念」なものをビジネスの視点から取り上げられている。
第1章「「ノート」に関する残念な努力」
著者の処女作のノート術がベストセラーとなり、他人のノートを見る機会が多くなった。その結晶に「実践編」の本も出版されたほどである。
その中で著者は幾多もの「残念」なノートを見てきた。自警列にノートをまとめるだけだったり、メモをすることをしないような行動はかっこいいと思っていたり、文章をびっしり書くようなノートにも出会ったのだという。
ノートはその人の性格が現れているようにも見える。もしかしたら私もその「残念」の中に入っているかもしれない、と思って本章をめくっている。
第2章「「サービス」に関する残念な努力」
電車やタクシー、レンタルビデオショップから居酒屋などの残念なサービスについて取り上げられている。居酒屋など飲食店についての残念なエピソードについては、「言葉のマエストロ」で知られる中山マコト氏が詳しく(かつ痛快に)書かれており、かつ満員電車については寺田寅彦の本でも書かれている(80年以上も満員電車はあるそうだ)。
第3章「「時間」に関する残念な努力」
始業時間を変えなかったり、夜中や明朝といった皆が寝ている時間帯にメールを送ろうとしている。待ち合わせの時間を突如変更するような人など「時間」にまつわる「残念」なエピソードを取り上げている。
時間を守ることは社会人としての基本といわれているが、そもそもその時間は何のために決めていたのか、あるいは始業時間も何のためなのか、というところまで切り込んでいかなければいけないように思える。
時間でお金を買うこともできるが、お金を時間で買うこともできる。物を黙って盗むのは犯罪であるが、時間を盗んでも何の罪も問われない。このような矛盾がなぜ起こり得ているのかと考えさせられる章である。
第4章「「企画」に関する残念な努力」
仕事についての残念エピソードを取り上げているが、システムエンジニアとしても、他のシステムを便乗するような残念なシステムに何度も遭遇し、開発に携わったことがある。また本についても大ブレイクした本に便乗するようなものも数多く存在する。最たるものというと「もしドラ」の便乗本が多数でていることにある。
第5章「「人間関係」に関する残念な努力」
人間関係と一括りで言っても社内の人間関係から、社外の人間関係に至るまで、様々な「残念」について取り上げられているが、印象的だったのが「親友100人」を「ウソだ!」と切り捨てた人の努力についてである。私も著者と何度も交流をしているが、著者の周りには数多くの友人がいる。著者の処女作を出版したときには無償で広告のポップや鞄など作ったひともおり、それが支えとなりベストセラーとなった。ほかにも様々なエピソードがあるが、その批判をした者に言いたい。是非一度著者にあってみたら良い、と。
残念なエピソードも交えながら、著者も自ら「残念」といいながら自虐をしている。本書を読んでいくとつくづく渡しも「残念」だなと思う節はいろいろある。では、どこか等が「残念」で、どこからがそうではないのかというのを考えさせられる。もしかしたらいろいろな要素を総合したところで、残念なのか、そうでないのかの伏線があるのかもしれない。
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