日本のメディアには「記者クラブ」という、諸外国からして「いびつな」組織が存在する。この「記者クラブ」の歴史は長く「明治維新」の時からすでにあったとまでいわれるほどである。
しかし最近になって「言論」や「情報」に関して「記者クラブ」における批判が後を絶たない。本書もその類の一冊であるが、面白いのが本書は日本の政治や経済について研究をしている方で、記者の経験が無い人の目線から「記者クラブ」を観ているため、斬新さがあるという所がある。
第1章「メディアを取り込む」
日本は諸外国と比較した調査「メディア自由度」があるのだが、比較的自由とは言える状況にない。民主党政権になってからは、「記者クラブ」における「情報統制」が露呈されており、大物政治家の中には一般の記者会見の他に、どのメディアにも門戸を開放する形の会見を別に開いたことでも有名である。
しかし「記者クラブ」にも重要な役割がある。よく週刊誌が行う「スッパ抜く」というもので訴訟問題になることが少なく、より価値のある情報を、よりリスクを冒すことなく得ることができる点がある。
しかし日本のメディアの大きな問題点には情報の制約が大きなネックとなり、新聞社独自の「思想」が紙面を大きく割いていることが多い。「東日本大震災」ではそのことが大きく露呈されており、アメリカの「ウォール・ストリート・ジャーナル」では、震災の惨状をありのままに写真を公開しているのに対し、日本の一般紙では新聞おろか新聞社のサイト上でも公開されなかったほどである。
第2章「歴史にみるプレス、政治、市民」
日本の「記者クラブ」の誕生については最初にも書いたのだが、世界的にはどうなのだろうか。
新聞自体は17世紀にイギリスで誕生した。そこから新聞や雑誌が栄え「コーヒーハウス」が誕生し、評論やジャーナリズム誕生の起源にもなったのはあまりにも有名である。
本章の冒頭には日本と西洋における「新聞」の位置づけの差を取り上げられているのだが、これはかなり興味深い。
第3章「日本の情報カルテル―第1部 戦争と排除」
ここから本書の核心に入り、「情報カルテル」のメカニズムについてを2章にわたって取り上げられている。ここでは「記者クラブ」のメカニズムと排他性についてを取り上げている。
「競争」と「排除」、後者の「排除」であれば察しがつくことが多いのでここでは割愛するが、「競争」は簡単にいうと一般紙でも「読売」「朝日」「産経」などがあり、それぞれしのぎを削っているところから「競争」といわれている。
第4章「日本の情報カルテル―第2部 規約と制裁を通じた関係の構築」
本章の内容については「はじめに」を読めば分かりやすく入ることができる。というのは著者がなぜこの「記者クラブ」について考察を行えたのか、というのがこの「はじめに」に記されているからである。
本章ではそれを基に「規約」と「制裁」について紹介している。どれも記者クラブとして重要な要素を担う二つのフレーズであるが、気にかかるのは「制裁」である。しかし「検察」と「メディア」に関することを考えると頷くことができる。というのはこのことに関しては某討論番組にて取り上げられているからである。
第5章「網の目の拡大―新聞協会と系列の役割」
一般紙やTVといった情報網について取り上げられている。
第6章「なぜ情報カルテルが問題なのか」
日本のメディア批判が後を絶たない。それでもいっこうに改善しないのはなぜなのか。既得権益なのだろうか、あるいは情報の混乱を避ける為なのか、その真偽は未だ闇の中である。
しかし日本の情報カルテルによってもたらしたものは負の側面がある。本章はそれを紹介しているのだが、ではここからどのように「開かれた」ものにしていくのかを示してほしかったのが残念である。
メディアは誰のためにあるのだろうか。記者クラブは誰のためにあるのだろうか。これはメディア関係者のみならず、それを視聴している私たちにも課せられている課題と言えよう。メディアはどうあるべきか、ネットの隆盛により開かれつつある時代の今、議論できるものではないかと考える。
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