日本の1/2革命

西洋では「ピューリタン革命」「名誉革命」「フランス革命」「ロシア革命」など様々な革命が近世から近代のあいだで起こった。

では、日本ではどうか。ほぼ無いというに等しいかもしれない。唯一あったとしても1853年の開国から明治維新を指すことが多いだろう。

しかし著者の両人はその革命は「半分」であったという。ではなにが「半分」なのだろうか。本書ではそれについて解き明かしている。

第一章「日本人がフランス革命を語る意味」
「日本人はなぜ関係のないフランス革命を知る必要があるのか?」
その質問を問うてみると、答えられるひとは少ないように思える。答えられたとしても「知るべき歴史だから」といいう答えにならない答えが返ってくるだろう。
しかし本章では「日本人」だからでこそ「フランス革命」を分析する必要があるという。もっというと「慰安府問題」や「南京事件」など当事者同士の対立が後を絶たない事件についてはアフリカといった利害関係の無い「第三国」に研究を任せた方が解決が早いという。

第二章「「半分」だった明治維新」
最初に書いた「半分」に対する答えである。
明治維新とフランス革命の共通点と「違い」について表しているが、とりわけ「半分」という言葉が用いられるのは、その「違い」についてである。
「共通点」は体制をほうかいさせたことにあるのだが、「違い」は明治維新では行わなかった政治制度、及び国家のあり方まで変えたことが挙げられている。そのことから明治維新は「半分」であったという。

第三章「「半分」だった戦後の革命」
今度は「戦後の革命」である。これは1945年8月15日の集戦後、GHQによる様々な革命についてを指している。
この改革についても著者の両人は「半分」であったという。

第四章「言葉の時代、あぶない後半戦」
「言葉の時代」
これについてはあまりピンとこなかったのだが、最近政治家の失言がニュースとして挙げられることが多くなった。ある種「言葉狩り」がメディア主導で横行している感が拭えないのだが。
「言葉」というとネガティブな面ばかりではない。小泉政権時代では「ワンフレーズ」で国民の心をぐっとつかみ、高水準の支持率を得続けられたこともある。政治家は言葉の使い方で信用を得たり失ったりする事ができるのだろうか、と思いさえしてしまう。

本書は「フランス革命」を日本の革命との比較から日本はどのように変化をしたのだろうかを対談形式にて考察を行っている。思想の相違もあるのだが世界的な歴史を学ぶ理由を見つけられる格好の一冊であると私は考える。