実存と構造

二十世紀を代表する思想として「実存主義」と「構造主義」が挙げられる。

「実存主義」…人間の実存を哲学の中心におく思想的立場。あるいは本質存在(essentia)に対する現実存在(existentia)の優位を説く思想。

「構造主義」…現代思想から拡張されて、あらゆる現象に対して、その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、場合によっては制御するための方法論を指す言葉。
(どちらもWikipediaより)

本書は「実存主義」や「構造主義」の解説ではなく、そこから派生して文学や生き方、国家までどのように広がり、変遷していったのか、について二十世紀の歴史を中心に考察を行っている。

第1章「実存という重荷を負って生きる」
実存主義の歴史は深く、古代ギリシャ時代に遡っているという。古代〜近代にかけて作られた哲学や文学はいずれも実存をベースにつくられている。

第2章「実存を包み込む国家という概念」
実存主義の国家や哲学、文学とともに「実存主義」の概念について第1章に続き考察を行っている。

第3章「隠された「構造」の発見」
「実存」と「構造」は日本の経済成長と重ね合わせることができるという。高度経済成長期は働けば働くほど収入が入る「実存」によるものであったが、その経済や体系が崩壊し、目に見えないところで消費してしまう「構造」の時代が到来した。
本章では「構造」を解き明かしているが、それが解き明かされ始めたのは、レヴィ・ストロースがそれについて発表してからのことである。

第4章「実存から構造へー大江健三郎の場合」
実存から構造へと文学としてシフトしていった人物が2人いる。一人は日本人二人目のノーベル文学賞を受賞した大江健三郎、もう一人は次章にて紹介するが中上健次である。
大江健三郎の作品について私は見たことがない。しかし、彼の生い立ちや思想については、レジオンドヌール騎士勲章やノーベル文学賞は受賞しているが、「文化功労者」や「文化勲章」は自らの思想をひけらかした上で固辞したという。このことからみてもおそらくどの思想かはわかるであろう。

第5章「実存から構造へー中上健次の場合」
最後は中上健次である。「枯木灘」という作品で一躍スターダムに躍り出た中上健次の作品を解き明かしている。

「実存主義」と「構造主義」を文学的に考察した一冊であるが、おそらく私が読んだ集英社新書の中ではもっとも「集英社新書らしい」一冊である。集英社新書マニア、もしくは新書をこよなく愛する人であれば、「集英社新書らしい」と言う意味は自ずとわかる。