独立完成への苦闘

戦後GHQによる統制により、日本国憲法が発布・施行されることとなった。それからGHQの統制から1952年にサンフランシスコ講和条約が結ばれ、解放された。そこから「独立日本」として再出発するが、本書では政治的に「激動」と呼ばれた独立日本の出発から安保改定の闘争までの歴史を描くとともに、昨今の日本政治で学ぶべきことを提言している。

第Ⅰ章「独立日本の出発」
GHQの占領から事実上解放されたのが、最初にも書いたのだが1952年の話である。このころから戦犯として逮捕・勾留されていた人々が仮釈放されていった。後に4度目の外務大臣に就任する重光葵もその一人である。
時の首相は「ワンマン体制」ともてはやされた吉田茂
吉田政権の中で「警察予備隊(後に保安隊、自衛隊)」をつくった。しかし「ワンマン政治」を行うあまり暴言により内閣不信任案可決による衆議院解散(バカヤロー解散)も起こった。

第Ⅱ章「政権交代の試練」
「ワンマン体制」の吉田政権が終焉を迎え、時代は鳩山一郎の時代へと移っていった。そのときには「日本社会党」の「左派」「右派」統一や「自由党」と「民主党」が合体し、「自由民主党」が誕生など政党にも大きな変化が起こった。やがて「五五年体制」となり38年にも及ぶ「1と2分の1大政党制」ができた。

第Ⅲ章「「親米」と「自主独立」のはざま」
鳩山一郎の時代が終わり、時代は石橋湛山や岸伸介の時代へシフトしていった。今でも火種の一つとされている「沖縄問題」も「親米」や「自主独立」という言葉の狭間に挟まれているが、このころから顕著に表れていた。もっとも「プライス勧告」による反対運動は第Ⅳ章の闘争にも近いほど大規模なものであった。ちなみに、「プライス勧告」とは、

米下院軍事委員会特別委員会が行った沖縄に関する調査報告書。1956年6月に発表されたものであり、沖縄基地の重要性を指摘して具体的に11項目が挙げられている。とりわけ軍事的統治の正当性を主張しており、住民感情が爆発。「島ぐるみ闘争」と呼ばれる大規模な抗議活動の起爆剤となった。「琉球新報」より一部改変)」

である。なお「プライス」はその委員会の委員長の名前から名付けられた。

第Ⅳ章「安保改定と反対闘争」
戦後日本の中でもっとも大きな闘争となったのは「60年安保」である。先頃、評論家・詩人であり、戦後日本思想の巨人と謳われた吉本隆明氏が亡くなられた。吉本氏の思想の根幹としてもっとも大きかったのが「安保反対」の思想であり、闘争の参加者たちの「理論」や「思想」の柱にもなった。

後に安保闘争から大学紛争、さらに沖縄返還となっていったのはこの後の話である。「独立日本」その国家が形式的に完成されたのは1952年であるが、実質的な「独立」は未だ「未完」と呼ばれる状態である。ほんとうの意味で「独立」と呼ばれる時代は来るのだろうか。