娘に語るお父さんの歴史

私自身はいないのだが、もしもあなたが子どもを持っているとするならば、「お父さんは子どもの頃はどうだった?」と言うような人生における質問を受けることもあるのかもしれない。本書はあくまで架空の父娘を取り上げているが、それがもし娘だったとしても、息子だったとしても、もしも自分がどのような人生を歩んだのか、もし子どもだった場合は父親の人生はどうだったのかの足跡を見ることができる。

第一章「子どもたちはテレビとともに育った」

今となってはインターネットなどが中心となるのだが、一昔前の情報を受け取るには新聞・雑誌・テレビ、特にテレビが中心だった。そのテレビがどのようにして親しまれてきたのかを取り上げている。ちなみに本書で登場する父親は実を言うと著者と同じ年に生まれている。もっとも自分がもしも娘がいたらどのような状況だったのかを語りかけているような漢字である。

第二章「子どもたちは「パパとママ」に育てられた」

当たり前なことなのかもしれないが、今となっては夫婦共働きで、パパとママとで面と向かって話すようなこともないというようなことも考えられる。そのため育てられるのは学校だったり、もしくは周囲の友だちなど両親「以外」にて育てられる機会の方が多くなっている。そのほかにも両親が離婚などをすることで、父だけ、もしくは母だけといった片親の世帯もあり、「両親」に育てられる機会が少なくなってしまうといった世帯もあるのだという。

第三章「子どもたちは「ふつう」を期待されていた」

子どもたちに向けられる「期待」も時代と共に変わってくる。かつては「一億総中流」と呼ばれる時代にあり、「ふつう」の人を期待していた。その「ふつう」とは何かというと、小中高と進学し、良い大学を進学し、良い会社に入社して定年まで勤めるというようなもの。時代は変わり現在になると、生き方は多様化し、お受験でエリート街道に進むと言うこともあれば、今まで通りの「ふつう」を進むもの、あるいは一つのことに特化した人生を歩む人もいる。

第四章「子どもたちは、小さな「正義の味方」だった」

父親が子どもの頃、ヒーローものもいくつかあり、アニメもまたヒーローを主人公とした作品も見られた。それに影響を受けた子どもたちは「正義の味方」に憧れ、そしてなろうとした。もちろん実際になれないため、あくまでモノマネやごっこといったグッズを用いて行うというようなものだった。

第五章「子どもたちは「未来」を夢見ていた」

父が子どもだったころは良くも悪くも未来に向かっていた。その「悪くも」という部分には四大公害病や交通事故の多発など側面もある。そのような時代であったとしても、父が子どもだったころは良い未来があるという夢を見て生きてきたという。

「ジェネレーションギャップ」と言う言葉がある。もっとも世代が違うと、生き方や考え方もまるで異なってくるのだが、そもそも時代の流れがあり、どうしても生じてしまうものである。そのジェネレーションギャップを知ることができると同時に、世代の違う人の子ども時代の話を知ることができる格好の一冊である。