震災と情報――あのとき何が伝わったか

震災にまつわる本で何度も取り上げていたが、2011年3月11日に三陸沖を震源としたM9.0の大地震が起こった。その地震と大津波により約16,000人亡くなった(不明者もいるため、さらに増える可能性が高い)。最大震度5強の強い揺れに見回れた東京でも、携帯電話やメールが繋がらなくなり、連絡を取るにも一苦労した人も多かった。その中でSNSは大きな活躍を得て、それにより無事帰った人、もしくは避難した人、会社で一泊した人とそれぞれいた。

本書はその震災から1時間、1日とそれぞれどのような状況だったかを考察すると共に、自分自身も当時どのような状況に置かれ、考えたのかも明かそうと考える。

第1章「最初の1時間 どこへ向かうべきか」
地震当時、私はオフィスで仕事をしていた。その仕事をしていた最中に縦に叩きつけられるような揺れが起こり、そこから本来ある横揺れの地震が起こった。その横揺れの幅が時間が経つにつれ広がり、建物が崩れるのではないか、という感覚に苛まれるようになった。その中で必死に自分の仕事用のパソコンを支え続けたのも今でもはっきりと記憶に残っている。
ようやく揺れが収まったのもつかの間、わずか10分後に緊急地震速報が入り、また最初の揺れに匹敵するような大きな揺れに見回れた。そこから仕事は完全に中止。テレビやインターネットを駆使して地震情報を得たり、地震によって割れたガラスや散らかったものの掃除に当たった。
しかしそこから20分もしないうちに再び大きな揺れが起こった。ここまできたら「この世の終わりか」と本気で思いさえした。そこでようやくおおきな揺れが収まり、この日の仕事はここでストップし、オフィスの掃除にあたった。
私事の続きは第2章に続けることにして、最初の1時間、地震と津波が東北・関東を襲う直前の顛末を写している。

第2章「最初の24時間 連絡が取れない中で」
私事の話に戻る。
オフィスの清掃が終わった後、通常通り仕事に当たったが、JRは早々とその日の運転を取りやめているため、帰る手段は無かった。最後の命綱である私鉄も運転見合わせの状態であった。ちょうど23時頃にようやく私鉄が動く報せが入り、すぐさま私鉄に乗り、家路に向かった。しかし帰路の一つであれど、一度も歩いたことのない道だったため、道に迷い続け、ようやく家に帰ったのは深夜1時。皿などが割れるなど変わり果てた姿を想像していたが、奇跡的に本が多少崩れただけでほとんど無事だった。歩き疲れたため、その日はすぐさまベッドに就寝。しかし朝の5時に再び余震が起こり、そのまま目が覚めてしまった。
本書の話に移る。
震災・津波直後に福島第一原発では「炉心溶融(メルトダウン)」が起こり、その周辺にいる住人には避難指示が発令され、付近の住人は避難した。メルトダウンを起こした原発も地震・津波により電力や通信インフラの電源が失われ緊急連絡もままならなかった。

第3章「最初の1週間 避難すべきかどうか」
震災の起こった翌日はちょうど休みだったが、私の住んでいるところは「津波注意報」が発令していたため、迂闊に外に出られなかった。インターネットで震災にまつわる情報を収集したのと同時に義援金の寄付や、ブログやTwitterを使って震災に関する情報を伝えた。
そして翌週には「計画停電」などによる電車の本数削減もあり、いつも以上の混雑に見舞われた。通常通りの勤務とまではいかないものの、1週間もしないうちにいつもの「日常」に戻った。ブログも2日間、震災による情報を伝えるため書評を中止したが月曜日には通常通りに戻した。
本書に戻すが、その1週間で日本と海外のメディアの温度差は歴然だったという。私もインターネットを使って、震災にまつわる色々な情報を収集をしていたが、本章で紹介された通りである。主に原発事故を中心にかかれているが、それだけではなく震災の惨状も日本と海外の差は歴然としていた。

第4章「最初の1ヶ月 どんな説明がなされたか」
私の住んでいるところでは「計画停電」に見舞われ、それを行っている時間帯はオフィス近くのカフェやファーストフード店でポメラを使った書評や勉強などを行った。家に帰っても電気が使えなかったため、やることは寝ること以外に無かったためである。それが1ヶ月間同じような毎日であった。そう毎日のように出てくる緊急地震速報に怯えながらであるが。
本書の話に戻る。大震災から1ヶ月経つにつれ余震の数も減少していった。しかしその翌月にはまた大きな余震が何度か起こった。また放射能汚染もあり、東京を中心にスーパーマーケットではミネラルウォーターなどの品が品切れとなることも相次いだ。

第5章「最初の6ヶ月 だんだんわかってきたこと」
首都圏では震災の混乱はようやくおさまり、復興に向けて日本中が動きを見せている一方で、原発事故の傷跡は想像よりも遙かに深く、私のよく行く書店でも「原発事故」にまつわる書籍が乱舞した。
政府も復興や原発による対応から迷走を続け、世界的にも日本政府に対する不信感も高まった。復興ムードが冷めてしまった。

あの震災から1年経ち、教訓となることもあれば、自然の恐ろしさ、そして過去にやってきたことの愚かさを知らされることとなった。あの震災から何を学び、伝え、生かすか。私たち日本人はムードに惑わされず考える必要がある。本書は「情報」の側面から教えてくれる。

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