2011年3月11日、東北・関東地方を中心に強い地震に襲われた。その後未曾有の津波が襲われ多くの命や家屋を飲み込んだ。福島第一原発のメルトダウンも併発し、全国的に電力不足に発展するなどに見舞われた。特に東北地方では第一原発のメルトダウンによる放射能漏れ、そしてがれき処理などの課題が山積しており、復興まで時間がかかるような状況に陥っている。
あれから1年、東北地方の復興は進んでいるとはいえ、その足取りは重い。本書はもっとも大きな被害に見舞われた県の一つである宮城県の県知事が宮城の現状とこれからについて被災者を代弁して綴っている。
第一章「2011年3月11日を回顧するーあの日、宮城では何が起きたのか?」
「ついに来たか・・・・・・」(p.17より)
これが知事の地震発生直後に思ったことである。
元々三陸沖は地震の発生しやすい地域であり、震災が起こる前々日に震度5弱の地震が発生している(東北地方太平洋沖地震の予兆と言われている)。また政府の「地震調査委員会」でも30年以内にほぼ必ず起こるといわれていた。
そのことから宮城県や周辺の県にて地震を想定した訓練を行っていたという。
しかしいざ地震が起こると、想像を絶する事態や現実に直面し、先が真っ暗に感じることさえあったのだという。しかし「お先真っ暗」で立ち止まってはいけない。県民を守るために自衛隊要請など様々な決断を下した。
第二章「復興へのあまりにも長い道のりーリーダーとして県民と歩んだ1年」
リーダーの真価がもっとも発揮される時、それは未曾有の危機に見舞われた時である。もっと言うとそういうときこそ本当の意味で「リーダーの仕事」といえる。
本章では「リーダー論」というよりも、「リーダーとして」復興に取り組んだプロセスについて綴っている。
そして本書で何よりも私の胸に刻みつけられたもの、そしてメディアでは決して取り上げられないもの、それは、
「震災関連死」
である。私もそれを知ったのは先月、ある自民党参議院議員の講演で知った。その方は宮城の選挙区の人であるが、国会議員の立場から宮城を視察・支援を行った方である。その方の知人が講演の数日前に「震災」のショックによる自殺をしてしまったという。震災から立ち直ろうとしている現在、このような悲しい現実は私たちの見えないところで起こっていると考えると、震災の傷跡はどれだけ深いのだろうか、と考えさせられてしまう。
第三章「国の復興対策は正しいのか?―被災地で今、求められているものとは?」
宮城県知事として国への要求も行ってきた。そして復興担当大臣に就任したばかりの松本龍との会談の全貌、そして松下政経塾の経験、放射能問題などが取り上げられている。
もっとも印象に残ったのは副知事の話、その副知事は50年以上前に起こった「チリ地震津波」を体験した人物であるという。
第四章「宮城県のこれから、東北のこれからー東北、日本は必ず甦る!リーダーの決意」
宮城県、そして東北地方の「これから」、長い時間のかかる「復興」であり、かつ災害に強い街、さらには「エコ」や「水産」に力を入れた街づくりを目指して、日夜励んでいる。
「地震が起こった」その事実はもう拭うことはできない。しかしその現実を憂いては何も始まらない。だからでこそ「今、私(たち)にできること」を考え、行動し続けることが大切である。宮城県知事である著者はそれを実践し続け、足取りは重いものの着実に復興の道を歩んでいる。二度と消えることのできない悲しみを振り払い、東北を復活するための戦いはこれまでも、そしてこれからも続くのだから。
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