東日本大震災が起こってからまもなく、国内外からボランティアが被災地入りした。しかし福島第一原発の事故からボランティアに行くことを取りやめたり、住民にとって迷惑を被ったりする人・団体もおり、それが復興の足かせになることさえもあったのだという。
その一方で本書で紹介されるものは、日本最大の支援組織である「ふんばろう東日本支援プロジェクト」である。本書はその代表をつとめている方の体験談と仕組みについて紹介している。
第1章「絶望と希望のあいだ―南三陸町レポート」
2011年3月11日
東日本で住む人たちにとって忘れられない1日だった。自信の体験談については「震災と情報――あのとき何が伝わったか」を取り上げた所で綴っているが、著者もまたその体験談を綴っている。そして翌日から南三陸町にボランティアの為に赴いたが、そこは想像を絶するほどの光景だった。
第2章「「ふんばろう東日本」の拡大とインフラとしてのツイッター、ユーストリーム、フェイスブック」
この震災でもっとも活躍したのは「ツイッター」や「フェイスブック」などのSNSであった。地震発生直後から電話や携帯メールなどの通信手段が断たれた中で、通信でき、かつSOSなどの情報も発信・傍受することができたからである。
「ふんばろう東日本」のプロジェクトが広がりを見せたのもこのSNSが大いに役立てられた。
第3章「「重機免許取得プロジェクト」―陸前高田市消防団と志津川高校避難所」
がれき処理や復興のために「重機」を使う人は貴重な人材と言える。そのために「ふんばろう東日本」プロジェクトでは重機免許取得を進めるプロジェクトを立ち上げ、推進してきた。
がれきにまみれた場所をいち早く自立できる環境を作れるために作ったプロジェクトだという。
第4章「半壊地域の苦境と「家電プロジェクト」」
震災から50日経ってもインフラが回復しないところも数多く存在した。そこで「ふんばろう東日本」では「家電プロジェクト」と称して自宅が全半壊した人たちに家電を配布することを起こした。
第5章「「ほぼ日」と糸井重里―「西條剛央の、すんごいアイディア。」外伝」
インターネット上で「ほぼ日イトイ新聞」でおなじみの糸井重里であるが、宮城県気仙沼市に「ほぼ日イトイ新聞」の支社をつくったのはあまりにも有名な話である。
著者と糸井氏のやりとりについて取り上げている。
第6章「多数のプロジェクトをどのように運営していったのか?」
「重機免許取得プロジェクト」や「家電プロジェクト」など数多くのプロジェクトを立ち上げ、そして運営をしていった。どのプロジェクトも頓挫せず、うまく機能することができた運営方法について取り上げている。
第7章「「一戦必勝」を実現する組織作りの秘訣」
数多くのプロジェクトを運営するだけあり、人数も経験者・初心者など人それぞれいる。その中で組織運営もさることながら心がけなどの組織作りについて紹介している。
第8章「ポスト3・11に向けた人を助ける仕組みと提言」
本書で取り上げたプロジェクト、もとい人を助ける仕組みは今後の災害に向けての防止やボランティアなどの提言を行っている。
人を助ける仕組みづくりは今回の震災だけの一過性のものにせず、ボランティアや企業、組織に発展し、これからの日本経済の動力にできるのか、それは著者を始め私たちにかかっているのかもしれない。
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