一昨年の話に遡るが「「嫌消費」世代の研究――経済を揺るがす「欲しがらない」若者たち」という本で、私たちの世代の「嫌消費」について分析を行った一冊を紹介したが、本書はその続編として「嫌消費」世代が台頭したとき、その不況から脱出する方法を提言している。高度経済成長期でモノは急速に豊かになり、飽和状態になっていったのだが、その反動が「失われた10年」を経てやってきたと言える。不況の中でももっとも「厄介」とも言える「嫌消費」。その脱却の道筋に光明はあるのだろうか。
第1章「「嫌消費」世代の台頭」
モノは次第に豊かになったがその反動で割を食らっている、その中心にいるのが「嫌消費」世代であり、「失われた10年」で雇用が悪化し、消費が冷え込んだ時に、思春期を迎えていた。消費をせびっている姿が色濃く移った中で育ったため、消費よりもむしろ過剰な節約・倹約をする傾向に走り、その余ったお金を銀行や郵便局に預貯金をする。その目的もなく、ただ「老後」や「いざという時」のために。
第2章「機能不全に陥った日本―ものづくり産業の強みと限界」
日本は「ものつくり大国」と称されたが、その「ものつくり」も内需の期待が薄れていき、ターゲットを海外に当てられるようになった。もはやリーディングカンパニーのターゲットも日本を見捨てるところも出てきているだけに、日本の消費はますます冷え込むことが予想されるほどである。それだけではなく、最初にいったような「ものつくり」といえる家電も飽和状態になったことも要因としてあげられる。
第3章「長期経済低迷の正体」
「失われた10年」とも「失われた20年」とも言われる時代はどのようなものだったのか。その中でも需要ミスマッチやデフレなど様々な説が主張されており、その真相や核心は「一つ」であると言えるほど単純なものではないことが窺える。
第4章「「嫌消費」時代の幸福増大法―融合型産業構造への転換」
そのような時代の中で私たちはどのような「幸福」を求めたらよいのだろうか。本章では個人の幸福というよりも、日本経済としての「幸福」を増大するための提言として「産業構造転換」の戦略をいくつか提言している。
第5章「「嫌消費」時代の経営革新―市場プラットフォーム発想」
嫌消費は消費にとって「敵」なのか「味方」なのか、それは経営者らの見方によって変わってくる。このような時代のなかで消費構造だけではなく、経営構造そのものも変わる必要がある。とりわけ経営や市場のなかでもっとも重要視されているのは「プラットフォーム」である。その「プラットフォーム」については平野敦士カール氏の「プラットフォーム戦略」にて詳しく書かれているため、ここでは割愛する。
需要構造は時代とともに変化をしているが、その構造を供給する人々の多くは読み切れておらず、やきもきしている状況が続いている。しかしこの状況は産業や経営、もっと言うと経済そのものも大きな変化をもたらすものと言えるが、劇的な「変化」を嫌う日本人がどのように受け取り、対策を進めていくのか、今の政財界に委ねられていると言っても過言ではない。
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