「被災地から被災地へのエール」
本書はそのための一冊と言える。阪神淡路大震災では崩壊した瓦礫による圧死を中心に約6500人もの命が失われた。それだけではなく、その災害により、多大なストレスに押しつぶされ「震災関連死」により自殺する人もいた。しかしそれはメディアでは取り上げない。
本書はその震災から起こったストレスへのマネジメントと心構えについての伝授とともに、被災地へのメッセージとしている。
第1部「私の1995年1月17日」
1995年1月17日
ちょうど夜明けが近づいてきた最中、神戸・淡路島を中心に強い地震が起こった。地底から突発的にせり上げられるような振動の後、激しい横揺れに見回れた。津波こそはなかったモノの、棚や机から様々なものが落ち、家や建物は次々と崩れ落ちた。
一瞬で街は変わり果て、「日常」も奪われ、避難生活に陥った人も宝塚市や明石市の人口を上回るほどであった。
第2部「避難所の教師たちーあの日、そして11年後」
その避難所も私たちの知らないところで次々とトラブルが起こり、インフラも完全に失われたため、行き場を失う避難者も少なくなかった。当時はインターネットすら知られていなかった時代であるだけに情報はほとんどとれないような状態であったため、家族の生存情報やすんでいるところの情報も思うように手に入れることができず、肉体的・精神的にも疲弊した人も数多くいた。
もっとも兵庫は大きな地震があまり起こらない地域である。これ以前に大きな地震とは言っても昭和27年に震度4の地震が起こったくらいである。それ以上の地震は当然兵庫や淡路島の方々は全くと言っても良いほど予測はできなかったと言っても過言ではない。
そのなかで学校の教師たちはどのような心境であるのか、そしてその心境は震災直後と、その11年後とでどのように変わっていったのだろうか。心境のみならず災害に対する意識も含めてここではアンケート調査をもとに考察を行っている。
第3部「震災を越えてー防災(減災)への心構えとストレスマネジメント」
阪神淡路大震災から16年、あの東日本大震災が起こった。大地震を体験した人々はまさに「他人事とは言えない」心境に陥った。震災の情報をみて愕然とする人、身体が凍り付いた人も少なくなかった。本書は震災後に書いたと言われているが、「他人事ではない」だけに、阪神淡路大震災の体験と教訓をそのまま東北の方々に伝えたい、そのようなメッセージがここ、もとい本書そのものに秘めているような気がしてならない。
災害はいつ、なにが起こるかわからない。そしてその対応一つで「人災」に陥ってしまう。「自粛」と呼ばれる行動もその一つである。吉本興業ではその教訓を生かして東日本大震災直後から笑いを提供することを惜しまなかったほどである。
「いま、私(たち)にできること」
かつて震災の受けた人々の答えがこれなのかもしれない。
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