「従順な羊ではなく野良猫になれ」
日本人、とりわけ日本企業に勤めている人たちは「猫」よりも「羊」や「犬」になる傾向にあるのかもしれない。「個性」や「自分」という存在を向き合うことさえ許されない状況であるが、そこから脱しいかに「向き合い」、誰にも「媚びず」に自分らしく生きるべきか、本書は道しるべを教えるのではなく、生きることと向き合う「糧」を見いだす一冊といっても過言ではない。
第一章「「今」と向き合う~自然体になれる強さを手に入れる」
私は現在や過去に生きているのではない。常に「今」ここに生きている。
その「今」と向き合う、誰の目もくれず、ただひたすらに「野良猫」の自分と向き合うことにより、「今」と「自分」を見出し、成長の糧とする事ができる。
第二章「自分と向き合う~富士山ではなく、エベレストを目指せ」
私だったら「富士山」よりも「エベレスト」よりも、むしろ「梅里雪山(メイリーシュエシャン)」を目指す。理由は簡単である。富士山もエベレストも登頂に成功した人はいるが、「梅里雪山」は数多くの冒険家、登山家が挑戦したが、未だ誰も登場に成功した人がいないからである。
本章の話を戻すが、目標や目的を「山」となぞらえ、成長や研鑽に対する「苦しみ」を「坂道」を上る一歩として、自分だけの時間、「孤独」な時間を持ち、向き合うことによってより高みに登っていく。
第三章「社会と向き合う~不可抗力に逆らわず、可抗力の統制に集中する」
自分のコントロールのできるもの、逆にできないものもある。前者を「可抗力」、後者を「不可抗力」と定義されている。自分のコントロールできるものを知ることにより、コントロールできる範囲を知り、それを広げ社会と真っ向から向き合う。それが成長だけではなく社会的な「守・破・離」の循環を得ることができる。
第四章「他者と向き合う」
「人の振り見て我が振り直せ」
他人の目に苛まれるのではなく、むしろ他人の振りをみて、自分はどうするか、客観的に向き合うことで自分だけの領域を見出すことができる。
第五章「仕事と向き合う~超ガラパゴス人材になる」
仕事に対する考え方としてもっとも多く取り上げられる質問として、
「あなたにとって何のために仕事をするのか」
というのがある。その質問を聞かれる度に「楽しむ為」や「面白さの為」と答える。けっして「生活の為」とは答えない。当然生活をするために生活費を稼ぐ必要があるが、それは仕事をして稼ぐことだけでなく、いくらでもある(法に触れない範囲であるが)。
仕事を通じて様々な場面や分野で成長をすることができるが、その成長の「ベクトル」をどうするかを自分と向き合う。そしてそのためにやるべきことをやり、やりたいことを見つけることで代わる人材がいないほどの存在になることができる。
第六章「人生と向き合う~5年後の計画は立てるな」
人生は「何が起こるかわからない」。計画通りにいくときもあれば、いかないときもあるが、それは後者の方がどちらかと言えば強い感がある。
何が起こるかわからない、そしてたった一度しかない人生だからでこそ、自分の生きる「目的」と向き合い、そのために何をすべきか・したいかを見出す。
第七章「未来と向き合う~純度の高い自分を創る」
スケジュール帳には様々な未来が広がっている。そのスケジュール帳の空白がそうさせているのだろう。その空白を受け止めながら過去に囚われることなく「今」この時を生きること、それが「自分」を作りだす一里塚と言えよう。
「贈る言葉」
著者の最終講義の原点となった言葉である。漠然とした不安に苛まれる若者たちが内面の「革命」を起こし、真の意味での「自由」を手に入れるための考え方を提示した。そのエッセンスが詰まった一冊であり、悩み・迷えることの多い時代だからでこそそのような時に読み返すことにより自分と向き合うことのできる一冊と言える。
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