人を育てる時代は終わったか

社会人5年目を迎えて3ヶ月経つが、その中で後輩への指導のウェイトが仕事の中でも高くなっている。しかし仕事量も確実に増えておりその中でのやりくりであるため、人を育てる余裕そのものが失われている感も拭えない。

私のような事象は私だけではなく、どの職場でも起こっていることであるという。さらに「成果主義」が導入されてきたことにより、人を育てるよりも自分自身の「成果」にこだわるあまり、社内の人間関係がギスギスしたものになってしまっている。

本書は労働環境と人材育成の現状について考察を行っており、かつそのような状況から脱する糸口を探っている。

一の章「現代の働き方に見る問題点」
90年代から急速に労働環境で言われ続けられているのが「うつ病」や「成果主義」などである。もっともバブルが崩壊し「失われた10年」を迎えたことにより、がんばればがんばるほど見返りがある、という考えがまやかしとなってしまったことにある。
思った以上に業績が伸びるどころか右肩下がりとなった企業もほとんどであり、大手の中には倒産する企業も出てきた。
業績が伸びないだけではない。企業の不祥事やミスによる事故や事件もメディアによって浮き彫りとなり、OJTやマニュアルなどの教育にも欠陥や限界も見えてきてしまった。

二の章「計画至上主義の功罪」
明治時代、長らく鎖国の状態から解き放たれ、西欧の文化を受け入れてきた日本であるが、日本の政治家の中には西欧の文化を重視し、日本の文化を軽視する「外国かぶれ」と呼ばれる政治家も存在し、明治天皇は彼らを嫌っていたと言われている。
「外国かぶれ」と呼ばれるひとは明治時代だけの産物ではない。ましてや日本の政治家のみならず、ビジネスマン・実業家にも同様の人は存在する。
そういった人たちにより、日本的経営が否定され、海外で成功している「成果主義」を盲信的に取り入れるようになった。また経営用語としておなじみの「PDCAサイクル」の「P」の部分に当たる「計画」、計画は重要であるが、必要以上に重視してしまい、不確実性を重要視されないようなことが本章にて取り上げている。

三の章「人を育てる時代から 人が育つ時代への模索」
「効率化」「生産性の向上」
企業にてよく叫ばれている言葉の最たるものとして以上の2つが挙げられる。それをかなえるためには「教育」もその一つとして挙げられるが、教育は目標によってプロセスが異なるばかりではなく、その効果も個人によって異なる。
その「教育」そのものは数値化する事もバロメーターとしてあるのだが、果たしてそれが可能か見えない部分も多い。
人を育てるための「教育」から「教育」からどのように人が育つのか、本章ではそれについて取り上げている。

四の章「生命現象から組織体を考える」
ここでは労働環境というよりもむしろ「生物学」という観点から「組織」についての考察を行っており、他の章とは毛並みが異なる印象である。
「反応」や「進化」など動物における活動と労働をいかに結びつけているのかの考察を行っており、ユニークと言えばユニークな考察であったため個人的に刺激的な章である。

五の章「未知なる能力をどう発掘するか」
心理学で「ジョバリの窓」と呼ばれるものがあり、そのなかで自分にも相手にも気づかれない「未知の窓」が存在する。「潜在能力」と言うべきか、その才能はいつ・どこで目覚めるのかわからない。しかしその能力を発掘させる、もしくはわかるためにもキャリアアップや教育を含めた、身の回りの仕事の中で引き出すかと言うところである。

企業には内外問わず様々な「研修」と呼ばれる教育機関があり、かつOJTにより能力向上を推奨している。しかし昨今の状況から教育に予算を割くことが難しいところにある。その中で職場の人材をいかに育てるのか、そして働きやすい雰囲気をつくるのか、企業が頭を抱えている課題の一つと言えよう。