今となっては「情報社会」と呼ばれるがごとく、インターネットや雑誌などが多く、様々な情報があふれている。そのことにより情報の「価値」そのものは玉石混淆の度合いが強く、かつ正確であり、かつそれを速く得るためにはどうしたらよいかと言うの本もでてきている。
しかし本書では情報そのもの流れの歴史とともに、そのような情報社会について反旗を翻している。
1.「致命的な誤解」
ニュースやインテリジェンス(諜報)、ナレッジ(知識)、サイエンス(科学)など、様々な角度・分野から情報を得る為の誤解とはなにがあるのか、本章ではそれを解き明かしている。
2.「対立する情報観」
「情報とは、差異をもたらす差異である」(p.11より)
情報から起こる「差異」は情報そのものの「違い」もあれば、情報のとらえ方、あるいは情報に対する考え方に対する「差異」と様々である。本章ではその差異のからくりについてスポットを当てている。
3.「20世紀的発想」
本章のタイトルである「20世紀的発想」と、現在の「21世紀発想」の違いとはどこにあるのか、というより、「20世紀発想」とはいったいな何なのかを知る必要がある。本章では今でこそあたり待てになっている「情報」や「IT」そのものの歴史を60年代から考察を行っている。
4.「学際的な概念か」
情報にとらわれている理由、それは学問的にも様々な分野から使われている、その「様々な」分野からとらえられていることから「学問」と「国際」と併せて「学祭」と名付けられている。
5.「Xの哲学では」
「哲学」とは言っても「近代哲学」「古代ギリシャ哲学」、さらには「政治哲学」や「法哲学」など時代と分野によって哲学の趣が異なる。
本章ではそれぞれの哲学の違いについて述べている。
6.「疑心暗鬼の果てに」
情報のとらえ方、もしくは「リテラシー」によってその情報の取捨選択の方法について疑心暗鬼になってしまうことがある。その果てにいったいなにがあるのか、本章では株取引などを取り上げながら考察を行っている。
7.「脳は外界を志向する」
情報の取捨選択を行うために「脳」の力が必要である。その「脳」が志向するのは自分の体の外にある「外界」にあるというが、その理由について本章では論じている。
8.「なぜ反情報なのか」
アルゴリズムやフローなどの「情報」に対抗する理由、それは本書のタイトルの根幹である理由を本章にて述べている。
「情報社会」と言われているからでこそ「あえて反抗する」ところから「情報」をとらえている。「情報」に毒されている時代だからでこそ目を覚ますいい機会なのが本書である、と言える。
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