ワークソング

「労働者のための歌」なのか、それとも「労働のことを歌う歌」なのか。辞書によってはまばらであるが、多くは「作業歌」や「労働歌」という意味である。酒造りや工場、あるいは「蒲田行進曲」のように映画撮影所(松竹蒲田撮影所のこと)のことを歌う、いわゆる「社歌」もそれにあたるのかもしれない。

しかし、本書はそのことを投影した作品ではない。ボルト会社が倒産寸前の危機に直面しながらも倒産しない、しかも「倒産寸前」というと「いつか潰れる」という焦燥と暗さが立ちこめ、どんよりするような職場になるイメージでしかないのだが、本書で描かれている職場はなぜか明るい。ポジティブな意味での明るいではなく、ナンセンスさが相俟ってでてくる「明るさ」がある。いわゆる「プロレタリア文学」であるのだが、その文学は小林多喜二の「蟹工船」のように反乱を起こしつつ、労働の暗さを描いているのではない。むしろその逆の意味での「プロレタリア」を描いている。では「プロレタリア文学」とは何か。

「プロレタリア文学(プロレタリアぶんがく)とは、1920年代から1930年代前半にかけて流行した文学で、個人主義的な文学を否定し、社会主義思想や共産主義思想と結びついた文学である。戦前の日本文学の潮流の一つ。」wikipediaより)

とある。調べてみると戦前~戦中あたりに書かれたもの、という認識が強く、現在のようにプロレタリア文学が息づいていることはあまり知られていない。ともあれ本書ほど「プロレタリア文学」に風穴を開けたと言っても過言ではない。

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