「ドーハ以後」ふたたび 世界から見た日本サッカー20年史

今年日本サッカーの幕開けとして知られる「Jリーグ」が初めて開幕して20周年を迎える。
昨今では関塚ジャパンが44年ぶりにベスト4に進出したものの、その44年前の因縁を持つメキシコと対戦したが、惜しくも敗れ、さらに次の3位決定戦には宿命の韓国戦となったが完敗し、44年ぶりのメダル獲得とまではいかなかった。

本書は20年もの歴史を日本代表監督毎の時代を振り返りつつ、これからの日本サッカーについてを見出している。

<オフト時代>
ハンス・オフトと言えばジュビロ磐田、浦和レッズ、京都パープルサンガ(現:京都サンガFC)などのJリーグクラブの監督を歴任したが、それ以前に1993年に日本代表監督としてラモス瑠偉や三浦知良らを指揮した。その1993年に土壇場でイラクに敗れワールドカップ初出場を逃した「ドーハの悲劇」が起こった。その「ドーハの悲劇」について当時監督だったオフトはこの上なかった選手のプレッシャーを見て、逃すだろうというのも頭によぎったのだという。

<ファルカン時代>
ドーハの悲劇、そしてアメリカワールドカップの後、監督を務めたのはパウロ・ロベルト・ファルカン。おそらく歴代の日本代表監督の中でもっとも知られていない。それもそのはずで在任期間はたった1年だった。その1年の中で「キングカズ」と呼ばれた三浦知良がイタリアのジェノアに移籍したのは有名な話である。

<加茂時代>
ファルカンの後に監督となったのは加茂周である。加茂ジャパンの時代は一つの「奇跡」が起こった。加茂自身が監督して指揮を執っていないが、1996年のアトランタオリンピックだった。かつて銅メダルに輝いたベルリンオリンピック以来28年ぶりのオリンピック出場となった。その予選リーグ第一戦は先のワールドカップで優勝したブラジル。そのブラジルに1-0で勝利した瞬間であった(マイアミの奇跡)。下馬評では圧倒的にブラジルが勝だろうという予想が根強かっただけに世界中が驚いた。しかしその勢いは続くことなくリーグは敗退してしまうが、オリンピックの大きなハイライトとして残った。
そして近づいたワールドカップ予選、しかし現在のように余裕に通過するような状況ではなかった。むしろ逆転負けにより、絶望的な状況に追い込んでしまった責任をとられ加茂監督は更迭される憂き目にあった。

<第一次岡田時代>
加茂監督時代、コーチだった「岡ちゃん」こと岡田武史が監督に昇格し、突破口を見出し、そして初めてのワールドカップ代表を獲得した。しかし初出場のワールドカップは3連敗という苦杯を舐めることとなった。
第一次岡田時代の長さは「ファルカン時代」よりも短い(8ヶ月)のだが、ちょうどワールドカップの時期だったため「ファルカン時代」よりも印象は濃かった。

<トルシエ時代>
監督がフィリップ・トルシエに替わり、小野伸二や小笠原満男、中村俊輔や中田英寿など数多くのスターを輩出した時代に入った。先のオリンピックもそうであるが、ワールドユースでも好成績をあげた。
海外遠征でもまずまずの成績を残しながらも日韓ワールドカップでは初勝利、そして決勝トーナメント進出を果たした。

<ジーコ時代>
強烈なまでの「個」のサッカーを標榜したジーコ・ジャパンの時代、トルシエジャパンの活躍もあってか、日本代表への期待感が強くなった。アジアカップや親善試合などでも好成績を挙げ、ワールドカップ目前の試合でもドイツに引き分けとなり、期待感が高まったが、それがすべてだった。予選は未勝利に終わり、期待度は一気に下がった。

<オシム時代>
ジーコの後任として監督に就いたのがイビチャ・オシムである。独特の表現と戦術が話題となったが、オシムが体調不良(脳梗塞)を訴え監督を交代せざるを得なかった。

<第二次岡田時代>
そして白羽の矢が立ったのは再び岡田武史である。しかし初出場のワールドカップの実績から期待度は低かった。
しかし2010年の南アフリカワールドカップでは低い下馬評を吹っ飛ばし、ベスト16となった。

<ザッケローニ時代>
そして新たなサッカーが作られようとしている。ザッケローニが監督に就任し「ザック・ジャパン」になるやいなやアルゼンチンに勝利する、イングランドに引き分けることで世界中を驚かせた。そしてオリンピックを経て、2014年のブラジル・ワールドカップに向けて快進撃を続けていくことだろう。

紆余曲折はあったものの日本のサッカー界は「Jリーグ」を誕生し、その20年間を送ってきた。その中でワールドカップ初出場や決勝トーナメント出場、あるいは奇跡の試合や悲劇と呼ばれた試合、無様な試合も数多くあった。
では本書のタイトルである「「ドーハ以後」ふたたび」は昨今の男子サッカー界、そして日本サッカー界が「なでしこジャパン」に支えられていることにたいし、「日本よ目を覚ませ!」という警鐘を鳴らすほど憂いているから名付けられたのだろう。

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