シリーズ「1968年を知らない人の『1968』」~第七日「リブ活動と「44年目の輪廻」」

(6日目に戻る)

1965年から続いた一連の「1968」であるが、最終日は大学紛争や連合赤軍の諸事件の裏で起こった「リブ」と呼ばれる活動とこの「1968」の総括をつづることとする。

<リブ活動>

主に女性活動家についての活動を取り上げている。直接的な意味の「リブ」は「解放」であるが、ここで言う「リブ」は「ウーマン・リブ」とよばれる「女性解放運動」も含まれている。

ウーマン・リブとして最初に行われたのが1970年11月14日のことである。これがきっかけとなり「男女雇用機会」の是非が議論されはじめ、1985年に法律として結実となった。その中心メンバーに東大名誉教授の上野千鶴子がいた。

<「1968」総括①~小熊氏の総括>

「1968」と呼ばれた「あの時代」

大学紛争の主たる原因として挙げられるのが「学費の値上がり」と「マスプロ教育」などの教育環境の急速な変化によるものへの憤懣、そしてそれを変えて見せようとする勇気にあった。

しかし著者は「理論面の乏しさ」により、大学闘争などの活動に大きな「限界」があったという。果たして「乏しさ」が解決できればこれ以上の結果を出せたか、という疑問があるものの、理論の構築に対して改善の余地があったのは否めなかった。

もう一つは「自己表現」としての闘争である。「自己変革」をするために他人と協力、もしくは敵対しての「闘争」を起こす、政治的な意味は後付けにして、まずでてみようという考えからの「闘争」に加わったという考えである。これは2日目にセクトを転々とする人がいた事を思い出すが、ある種のファッションのように闘争に参加する人がいたのかもしれない。

しかし全員が全員ではない。

首謀者の思想に心の随から共感して参加した人もいれば、著者の通りに参加した人、あるいは友人が中心メンバーでそれに恫喝されて参加した人さえいる(あくまで推測であるが)。ともあれ数千人・数万人に膨れ上がった大学闘争が枝葉のごとく増えていった事による産物であるとするならばこの結論も含蓄がいく。

そういえば著者は1965年生まれであり、私のように「「1968」を肌で感じたことのない世代」と言える。1968年の当事者から離れた位置でそれらを分析することに価値がある、そういった世代だからでこそ見えないものもある、本書はそれを文献を中心とした研鑽によって伝えたかったのかもしれない。

<「1968」総括②~44年目の輪廻>

私がしきりに「44年目の輪廻」といったのは理由がある。今日の「反原発・脱原発」の政治運動が大規模化し、そのでもそのものが、多かれ少なかれ「大学紛争」を映しているようでいてならなかったからである。

そういったデモではないのだが、私事だが8月12日、用事で赤坂に向かっている途中で、こんな小競り合いを見た。一つはデモ車、もう一つは警官隊の衝突である。デモ車は拡声器を使いながら警官隊に向かってかどうかはわからないがあたかも「小学校の悪ガキ」と思えるような言動で罵倒する声が広がっていた。

その周りにパトカーや警察官が囲み罵倒するボルテージがだんだん高まっていった。急いでたのでここまでしか見ていなかったのだが、規模は小さけれどこういったことは日本各地で起こっているのかもしれない、という感じさえした。

44年前のような過激な闘争になることはほとんどない。私たちがおとなしくなったのもあるのだが、銃刀法など当時より武器の所持そのものが厳しくなり、それを取り寄せることさえ困難なことである。ましてやそのようなエネルギーを使っている暇があったら働きたい、という感情を持つ人も少なからずいるのだろう。

歴史はそれを知らない限り繰り返される。その輪廻はいつになるかわからないが、私たちの知らなくなったときに必ず起こる。

その輪廻から脱出する方法はたった一つ。「歴史を知る」ことに他ならない。

―――

<おわりに>

これまで「蔵前トラックⅡ」では毎日1冊取り上げることが常だった。「Ⅱ」として活動し始めたときには上・下巻分けて紹介したことはあったのだが。

この「1968」はこの時代に関する本をいくつか取り上げてきたのだが、それを紹介していったときに是非「取り上げてみたい」と思った二冊だったが、ボリュームがボリュームであるため(上下巻あわせて約2000ページある)、1日で取り上げることができない。取り上げたい思いがあってもなかなかとりあられる術がないジレンマがあった。

しかし、たまたまあるTV番組を見てこの「1968」を一週間かけて取り上げようと思った。

それは「情熱大陸」で柳家三三が「島鵆沖白浪初代・談洲楼燕枝 作)」を3日かけて「通し」で演じたことである。長編作品を「通し」で取り上げてみてはどうかと思い、この1週間取り上げ続けてきた。普段あまりTVを見ないのだが、ちょうど放送されていた日はTVを観たい気分でチャンネルを回していた放送されていた。全くの偶然であり、もしこれを観ていなければ「1968」は未来永劫取り上げなかったのかもしれない。

本のページ数が多いためどこを区切り、どれを取り上げどのような感想を書くのかは普段取り上げる書評以上に悩み、同時並行でいつものような書評を取り上げることもやっていたため、よけいに難しかった。

それでもこれを取り上げることは新たなチャレンジであることから本当におもしろくもあり、書評の難しさを痛感した。もし機会があれば、本書クラスの本をまた取り上げてみたいと思う。今度もまた同じ一週間「通し」で。

最後に拙い文章を一週間取り上げましたが、いかがでしたでしょうか。告知も全くしませんでしたが、これからシリーズで取り上げるといった新しい(?)書評をやってみる機会もあり、当ブログにて取り上げることがあると思いますが、ご興味がありましたら閲覧いただければ幸いです。そしてこの一週間1記事でも閲覧していただいたみなさま、本当にありがとうございます。

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