哲学者クロサキの哲学する骨董

私たちの世代だと「骨董」というとピンとこない人が多いかもしれない。何せ美術品などの「物欲」そのものが薄れてしまっている。

しかし「骨董」にかぎらず美術・芸術のものには、言葉にできないほどの「美しさ」がある。その「美しさ」に魅入り、さらに骨董を集めるようになる。
「骨董」を哲学すること。その「骨董」に魅入ることのできるメカニズムを本書では解き明かしている。

第一章「骨董と美」
「美しいものは美しい」
その「美」という定義や代表的なものは人それぞれである。その美しさは「美術品」や「骨董品」などありとあらゆるものを観たり・聴いたりする事によって磨くことができる。「美」を見抜く眼も「美術品」や「骨董品」によって養うことができる。かつて評論家や発掘者も魅入られ、そして「骨董品」の美しさの深みにはまっていく。

第二章「骨董と複製」
漫画作品に「ギャラリーフェイク」がある。主に美術品が中心であるが、骨董品が紹介されることもある。タイトルにあるとおり美術品の偽物(フェイク)やレプリカを売買する業者の主人公が様々な美術・骨董品をテーマとした様々なことに遭遇しながら、「美」についてを追い求める物語である。
その「フェイク」は「複製」「贋作」の意味を持っている。しかし「複製」と「贋作」の二つは同じようでいるがそもそもの意味合いが異なる。複製は「オリジナル」そのものをコピーをする、「贋作」は「複製」のほかにも「オリジナル」のように見せて作ったものも含まれる。

第三章「インターネット時代の骨董」
インターネットが栄えることによって「骨董」の考え方やアプローチも変化した。たとえば骨董品の売買、オークションも去ることながら、複製が容易になっただけではなく、「電子化」も行うことができた。

第四章「骨董テクノロジー」
骨董のテクノロジーというと「複製」するのでは、という考えを持ってしまうが荘ではない。むしろデジタル化もあれば、「復刻」や「修理」といった技術もまた「テクノロジー」と言える。

骨董品には、「美しさ」の中にそれを魅入られ続けることのできる「魔力」がある。「美しさ」だけではなく「古さ」があたかもタイムマシンに乗ったように「時間」の深さを見出すことができる。「骨董」はまさに「奥が深い」と言えよう。