「肩の荷」をおろして生きる

「生きづらい」世の中である。世界有数の「豊かさ」のある日本だが、私の周りにも「幸せ」そうに生きている人がほとんどいない。むしろうなだれながら通勤する人をよく見かける。その光景を見ると、自分自身がポジティブに思っていたのが馬鹿らしくなってしまう。

その一つの要因として「肩の荷」と言う名の重荷を抱えているかと著者は推察する。本書はその「肩の荷」の要因を「自分」「豊かさ」「親子」「恋愛」「成熟」と5つのカテゴリーに分割してその現状を考察しつつ、そのはずすためのメッセージを送っている。

第一章「「自分」という重荷」
嘘・おべっかと言う名の「仮面」を被り、本音で語るような「自分」そのものを殺してしまう。そう「人間関係」を損ないたくない、もしくは自分をよく見せたい、という重いが強く、それが「肩の荷」となっていった。
もっともこの「人間関係」がやっかいなものとなりその摩擦によって「孤独」に喘いだり、仮面をかぶり続けなければならなくなり、やがて精神的にも滅入ってしまうことになる。

第二章「「豊かさ」という重荷」
日本は豊かになったとともに「東京一極集中社会」、もしくは「首都圏一極集中社会」とよばれるような状況となった。かつて書評でも言ったように豊かさの「澱」が「重荷」や「肩の荷」として負担を抱えるようになってしまった。
最近では「地域活性化」と言われて久しいが、地方経済の活性化の付け焼き刃にすらならない現状がある。

第三章「「親子」という重荷」
「親子」関係はあるものの、本当の意味で子供を自由に育てることを拒み、自慢の道具として育てるような親も増えてきている。最近ではスポーツ選手、アイドルなどにさせるべく幼少のころから子供としての自由を奪い、英才教育を施すことで愛をはぐくむという「条件付きの愛情」をしているのだという。子供はその親の期待に応えるべく大人以上の負担を強いられてしまう。そしてその負担が「承認」への欲望となり、それを受け続けなければ思いも寄らぬ方向へ行動をしてしまう。

第四章「「恋愛」という重荷」
男と女の恋愛観の違いは今も昔も同じものもあれば、時代とともに変わるものもある。最近では「草食系男子」と言われて久しいが、それにより女性に対する要求と母性に対する在り方も変化した。その「恋愛」そのものを「重荷」として忌避する人もでてきており、それが「晩婚」「非婚」の引き金ともなっている。

第五章「「成熟」という重荷」
人の親になる、仕事で要職に就く・独立すると言ったところで人は成熟する。しかしその「成熟」が重荷となり、「孤独」「怒り」「歪んだ愛」を引き起こしてしまう。

「肩の荷」は豊かさの「代償」とも見て取れる。豊かではない時代の中では、周りの「支え」があるからでこそ、鈍なことがあってもがんばることができた。しかし一人でも十分なことができるような環境になってからそれが必要なくなってしまった。そのせいか他人への「支え」を失ってしまい、「肩の荷」ができてしまったのではないかと考える。

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