「上野の後に池袋
走る電車は内回り 私は近頃外回り…」
「綴方狂室の痴楽」で知られる四代目柳亭痴楽のトレードマークと言われる「恋の山手線」である。後に小林旭が同名のタイトルで大ヒットしたという。
その山手線であるが、品川~田町間で新駅がつくられるというニュースがあった。その意味で今山手線がアツいとも言える。
東京をはじめ首都圏にすんでいる人にとって馴染み深い山手線だが、そもそもそれが誕生した歴史はいったいどのようだったのかわからない。本書は127年もの歴史を持つ山手線の歴史を追っている。
第1章「強い反対に陸上を諦めて海上を走らせた「陸蒸気」」
江戸時代から明治維新となり、新しく政府ができたが、その目玉政策の一つとして挙げられたのが「鉄道の敷設」であった。その中心人物が伊藤博文と大隈重信であり、その手始めが「東京~横浜」間だったが、強硬な反対論と土地の問題もあり「汐留(新橋)~横浜」に変更され、かつ陸上というよりも「海上」に敷設をする奇策にでた。
余談であるが、今年10月14日、前述の区間で鉄道が開業されてから140周年を迎える。
第2章「華族が興した最初の私鉄、開業式を欠席した鉄道局長」
私が東京に来たときに驚いたのが「鉄道」の多さにあった。JR・地下鉄のみならず「東急」「西武」「京王」などの私鉄も存在しており、その乗り換えも複雑であったため、四苦八苦し痛い目に遭ったことも少なくなかった。
私事はさておき、日本で初めて「私鉄」をつくった岩倉具視であり、品川~上野間に敷設された。後に山手線・京浜東北線として重要なものとなった。
第3章「東京の山の手、凹凸地帯に線路を敷いた山手線の前身」
山手線の前身には2つのルートがあり、いずれも県を大きく跨るほど広いものがあった。
1つは東京から大宮・高崎・松本と通る「中山道ルート」
1つは東京から横浜・沼津・浜松と通る「東海道ルート」
その連結部分には岐阜県にある「加納」という駅だった。
本章ではその2つのルートをもとに井上勝の理想への奮闘と葛藤を描いている。
第4章「敷設ルートは二転三転し、山手線の名称を正式に決定」
第3章でつくられた構想をつくるべく、そのプロセスの一つとして上野~田端間、さらに田端~池袋間への敷設を進めたが、その中で日本初のストライキが起こるなどで難航した。その一方で新橋~池袋の路線の名についても議論が行われ、「山手線」に決めたのだが、本来「山手(山の手)」は本郷・青山・赤坂といった旧市街地のところを表していた。それ故かその幅広いなかに円形の中に入っているのも特徴と言える。
第5章「高架線建設で浮上した、東京を一周する環状鉄道の構想」
現在有楽町~新橋間は高架線となっている。他にも高架線の駅は存在するがその多くはコンクリート作り、一方で最初に取り上げたところは「レンガ作り」になっているところが特徴的である。山手線の多くは高架の路線となっているが、その走りとなった。
本章はこのことの他に東京駅の設置プランについても触れられている。
第6章「日本風から洋風デザインに変更して、巨大な東京駅」
私自身仕事・プライベート問わずして東京駅を使うことが多い。現在は復刻工事が行われており、来月には完成するといわれている。初めて東京に来たときからずっと特徴的な東京駅をみてきたわけであるが、そのデザインは開業した1914年からずっと同じ形を貫いている。
再来年には100年を迎えるが赤レンガの周りは刻々と変化を遂げる中、東京の中心を見守っている。
第7章「中央線の東京駅乗り入れで「のノ字運転」の開始」
東京駅と言えば現在、山手線の他に京浜東北線・中央線・東海道線・横須賀線・総武線(快速)・京葉線など多数の路線の乗り入れが行われている。
その中でも中央線の乗り入れが最初であった。そのときは神田~上野にかけての路線がつながっていなかったため、山手線・中央線をつなげた「のノ字運転」が行われていた。
第8章「東海道線と東北線は結ばれたが、日本縦貫鉄道は先送りに」
現在のような環状路線が誕生したのは1925年、大正時代末期の頃である。その最後の路線敷設となったのが「神田~上野」間であるが、その中で現在でも議論の的になっている「日本縦貫鉄道構想」、または「東北縦貫鉄道構想」も触れられている。約100年その構想があるのだが、具体的なプランや計画がままならないまま現在を迎えている現実がある。
第9章「汽笛一声から半世紀、日本初の環状鉄道・山手線誕生」
「半世紀」というのは日本で初めて線路が敷設された時から、山手線が環状路線として誕生してからのことを表している。そのため本章のタイトルには「汽笛一声」ということがある。
現在のような環状路線となってから85年以上たつのだが、その中でも有名になったのが最初に書いたように落語や歌として取り上げたことからにある。
東京をはじめ首都圏の大動脈としての山手線、80年以上走り続け、今日も通勤客や観光客の足となり東京中を走り回り運び続けていく。今までも、そしてこれからも。
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