疑え、常識

「常識」ほど理由を言わずに罷り通っているものはない。私にとってはそれほど信用できない言葉はない。
私事はさておき、新しい考えを持つためにはその「常識」を疑うことから始まると言われている。本書は昨年話題となった「はやぶさ」の経験を通じて「常識」を疑うことの大切さを伝授している。

第一章「[生き方][考え方]の常識を疑う。」
本書は20代~40代の働く男性3人と著者とでゼミナール形式での講義をおさめている。まずは過去の教育、さらには座右の銘、判断、そして「心」についての「疑う」ことの大切さを伝授している。特に最初にある第1講の「君たちは国に洗脳されたロボットなんだ」ことには国民と教育の観点から衝撃を受けた。

第二章「[仕事]の常識を疑う。」
昨年3月に起こった東日本大震災は「1000年に1度の大地震」と言われている。ビジネスでもそのような「想定外」のことは起こり得る。企業や経済にとって「リスク」は避けて通れないのだが、それに背を向けることが多いのが日本人であるが、そのリスクを忌避せず回避する、もしくはそのリスクがあってもリカバリを持つなどが大切と言える。

第三章「[教育]の常識を疑う。」
教育の弊害はいろいろなところである。簡単なところでは机上教育と企業とのかい離もあれば、国民性の形成、議論の経験不足、そして専門性が育たない土壌についての議論が中心である。大学教授として大学の場を経験しながら、プロジェクトマネジャーとしてビジネスの舞台にも上がったことのある著者だからでこそ、ビジネスと教育のあり方を見ることができると言うべきか。

第四章「[お金]の常識を疑う。」
「税金の無駄遣い」「税金を別目的に使っている」という声がある。しかしそれも疑う必要がある。そもそも税金は「何のために」使っているのか、税によって用途が異なるが、近視眼的なことで考えるのではなく、長期的な計画、視野で見ることが大切であるという。
本書は「疑う」ことそのものにある。だからでこそ本書をも「疑う」ことによって自分自身の本質を見ることができる。様々な事象や考え方そのものを疑い・否定し続けることによって、ルネ・デカルトの言葉のようになる。

「我思う、故に我あり」

と。