医療や看護、介護も時代とともに変わってくる。医療だけではない、終末の迎え方もまた然りである。最近の経済週刊誌では「エンディングノート」のすすめまで取り上げられており、「医療」と「死」双方の考え方について改める必要がでてきた。
本書は訪問看護・介護の観点から医療・終末について、1000人を越える患者とその家族を出会い、体験した物語である。
第一章「生き方の選択」
生前戒名や尊厳死、延命拒否など医療のみならず、宗教・倫理の観点から議論の的になっている事柄も少なくない。
本章ではまもなく「死」を迎える方とその家族についてを綴っている。本人の意志を尊重するのか、家族の考えを尊重するのか、それとも医療現場の人たちの意見を優先するのか、その葛藤が浮かび上がったように思えてならない。
第二章「介護する家族の風景」
在宅介護を希望する家族も少なくないが、介護によって多大なストレスを生み、最悪家庭崩壊に陥る所も少なくない。しかしその在宅介護もマイペースに行う、無理強いせずひたむきに介護と向き合う、そのことで家族に見守られながら幸せに息を引き取ったというケースもある。本章ではそのケースを紹介している。
第三章「子どもたちの在宅療養」
小さな子どもが原因不明、かつ治療法が無い難病を患い、わずか数年で生涯を閉じたケースも著者の体験のなかで少なくなかった。その子どもたちの為の終末(ターミナル)ケアを紹介したことは介護や医療に関する本を読んだ自分でも聞いたことがないだけに珍しい。
第四章「訪問看護という仕事」
訪問看護師の仕事はいろいろな人との板挟みの立場にあると本章を読んで思ってしまう。その板挟みの立場でも家族の意志を尊重して看護を進めていくが、その「いろいろな人」、たとえばヘルパーや救急隊員、医師、病院などとの軋轢や衝突、対立などがよくあるのだという。
第五章「看護師として、女性として」
著者の恩師や両親、そして著者自身の入院生活から見て自ら看護師として、女としてどのように生きたいのかを綴っている。
第六章「在宅医療を実現するために」
本章は看護体験談ではなく、在宅医療を始める方々の為の準備として、どのような医療が可能なのか、介護者や医療者がどのようなことを行えばよいのかを示している。
人は誰しも最期を迎えるが、その最期を迎えるためにはどうしたらよいのかは、老年なったときから始めるのではなく、むしろ今の方が良い。理由は簡単である、どんなに健康体であっても突然在宅医療が必要になるようなことがある。本書はその「在宅医療」のリアルを知ることのできる格好の一冊である。
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