古典で読み解く哲学的恋愛論

自分自身「恋愛」はあまり経験していないのでよくわからないが、一度恋愛をすることによって「様々な」ことを学ぶ、学ばせられるのだという。これは男女の関係から本書の考察対象となる「哲学」までに至る。
ではこの「様々」はいったいどのようなものなのか。本書は「哲学」を古典から読み解いている。

第Ⅰ章「性差としての世界」
人間には「男」と「女」と分かれる(ニューハーフなど例外はあるが、ここでは便宜上二極化しておく)両方の「性」の「差」を文字通り「性差」と言うが、その男女の差は人間関係から、人間としての作りや相関関係などハイデッガーやフランスの古典恋愛小説「グレーヴの奥方」を取り上げている。「グレーヴの奥方」を取り上げるのは意表を突かれたが、それを哲学としての解釈を行っているところが斬新といえる。

第Ⅱ章「性差としての恋愛」
「恋愛」と一括りにしても、本章では少女コミックや恋愛小説にあるような恋愛もあれば、性的行為にまで及んでいる。一度恋愛をするとなると「精神」としてどのような効果をもたらすのか、というところをスタンダールの「赤と黒」、サルトルの戯曲「出口なし」、三島由紀夫の「春の雪」、プレヴォの戯曲「マノン・レスコー」など多彩な文献から考察を行っている。「恋愛」の中でも浮気や嫉妬、非日常と日常、空間、時間、関係、宗教など考察の幅は広い。それだけ「恋愛」は奥が深いというのがわかる。

第Ⅲ章「異常愛について」
異常な愛として代表されるのが「S(サディズム)」と「M(マゾヒズム)」があげられるが、前者は「ジェンティーヌ」シリーズとして有名であるマルキ・ド・サド侯爵、後者は「毛皮のヴィーナス」のザッヘル・マゾッホの名前からでている。両者の作品にもその資質が表れている。
それだけではなく近親恋愛、あるいは上司・部下の恋愛を歌劇にもなった「トリスタンとイゾルデ」、日本における異常愛を代表して「阿部定事件」を引き合いに出している。

第Ⅳ章「恋愛の存在論あるいは恋愛の倫理」
「存在」や「倫理」は哲学においても重要な命題の一つとして取り上げられている。それらと「恋愛」との関係はいったいどのような関係にあるのだろうか。本章では前章の続きとして前章で取り扱った題材をもとに考察を行っている。

あまり「恋愛」を体験していないせいか自分自身も「恋愛」のことを聞かれると答えられない。ましてや自分自身が恋愛を体験をしてももしかしたら答えられないものなのかもしれない。それだけ「恋愛」は奥が深い。それは感情としてだけではなく、哲学としても、である。