今となっては「核家族化」が著しいが、「家族団らん」の風景は今でも「日常風景」の一つとして挙げられている。それが毎日ではなくとも、里帰りする「お盆」や「年末年始」には故郷から離れて働きに出ている親族が戻ってきたときにその風景になることもある。
しかし、その「家族団らん」と呼ばれる風景もまた少なくなっているのだという。最初に書いた「核家族化」もその一つであるのだが、それ以外にも「夫婦共働き」や「孤食化」によって珍しくなってきている。
本書はその「家族団らん」の風景がどのように変化をしていったのか、そして家族にまつわる「食」の事情はいったいどのように変化をしていったのかを考察を行いつつ、「家族団らん」の風景を取り戻す提言を行っている。
第Ⅰ部「食卓での家族団らんの現実と言説」
メディアにおける「家族団らん」の風景として代表的なものとしてアニメでは「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」を連想してする。とりわけ前者は1969年から約35年もの間、親しまれ続けている。放映された当時はごくありふれた光景としてあったのだが、だんだん「家族」のあり方が変化するとともに「非日常」の光景となっていった。
ちなみに「サザエさん」が放映された当時の「家族団らん」といわれる風景は過去からずっと続いており、戦前でも事情は異なるものの「日常の風景」の代表各として挙げられていた。
第Ⅱ部「教科書・雑誌における食卓での団らん言説の歴史的変遷」
「家族団らん」という言葉はどのような歴史をたどっていったのか。本章によるとこの言葉が初めてでてきたのは明治9年(1877年)の時であり、その「家族団らん」の風景について取り上げられ始めたのは明治20年代の頃である。そのときから「家族団らん」というものが始まったといわれているが、その要因としては「文明開化」による欧米文化が取り入れられたこと、というよりもむしろ封建的な風潮が風化していったことが大きな要因であるという。
第Ⅲ部「これからの食と家族」
戦後になると、食文化も劇的な変化を遂げていった。欧米で広がっていた文化が一気に日本になだれ込んでいった。それでも家族団らんの風景はあたりまえのようにあったのだが、だんだん経済が成長していくにつれ「家族団らん」の風景が崩れていった。しかし家庭や道徳の教科書では「家族団らん」を奨励しており、あたかも「強迫観念」としての存在も映し出してきた。
「家族団らん」の風景が珍しくなっただけではなく、家族とのコミュニケーションも希薄化していき、それが家庭崩壊や教育放棄の引き金になることもある。そこから強制的に「家族団らん」を引き戻すこともできるのだが、そうではなく、家庭のあり方にしても、社会のあり方にしても変化をしているのだから、コミュニケーションも含め、家族の状況に合わせた「団らん」の姿に対応することこそ、「家族団らん」を戻す最善の方法と言える。
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