著者である阿久悠氏は2007年に逝去された。彼の母校である明治大学に著者の記念館を開設するにあたり、遺された品の中で見つかった「未完の作品」がこの「無冠の父」である。ただ、本書の作品は一度も陽の目を見なかった。1993年に執筆したのだが、校正の際、編集者と対立してしまい、以降お蔵入りとなったのだという。にもかかわらず本人よりも遺族の了承で刊行されたのだが、果たして勝手に校正されたのか、そのままの状態で刊行されたのかわからない。巻末の経緯については一筆でも良いのでそれを書いてほしかったことが悔やまれる。その一言があるだけでも、純粋に著者が作ったのかどうかがわかるのだから。
経緯はここまでにしておいて、本書の話に入る。
「無冠」という言葉は決してネガティブな言葉ではない。
F1の世界でも「無冠」でありながら、名声を得たドライバーとして、スターリング・モスやジル・ヴィルヌーヴが挙げられる。F1の世界に限らずとも、様々な世界で「賞」など形のある名声を得ることができなくとも、人々の記憶に残るような人も少なくない。それは企業など組織の世界でも同じことである。
生涯「巡査」でありながらも警察の仕事を実直に取り組んだ父を持つ子がどのように思ったのかを描いている。形は違えど自分自身の家族をモデルに描いているのだという。
コメント